おうし座
春の河の調べ
はかなさと共に
今週のおうし座は、「まちがへてゐる僕がゐる春の河」(五島高資)という句のごとし。あるいは、個人的な執着を超えて、より大きな存在の地平に溶けていこうとするような星回り。
雪解け水がきらきらと流れ込む春を大河を前に悩む「僕」は、いささかナルシズムの匂いは否めないものの、それを隠そうとするのでなく、ひとつの“生きた自然”として「まちがへ」ごと受け入れていこうとしているのでしょうか。
たとえば、茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝することにあるとされていますが、これは、日本の伝統な美的感性の根幹には、いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、可能なもの、完全なものを成就しようとする、ひかえめな企てがあるのだとも言い換えることができるでしょう。
掲句もまた、そうした「はかなさ」の美をみずからの人生の中に見出さんとしつつも、一方で肥大化した自意識を捨てきれず、持て余してしまっている憂愁を忘れずに添えていくことで、その企てはよりわざとらしくないものになっているように感じます。
立春そしてしし座での満月を迎えていく今週のおうし座は、悠然とした佇まいの中で自分の弱さや傷つきやすさを開示していくこと、できるだけ無理をせず生きていく覚悟を決めていくことがテーマとなっていきそうです。
時代が変われば私も変わる
ボブ・ディランの「The Times They Are A-Changin(時代は変わる)」は次のような歌い出しから始まります。
「仲間を求めるがよい/どこにいようとも/君の周りでは/流れが渦巻いてるのだから/気をつけろ/でないと溺れるぞ もし君に/未来があるなら/ちゃんと泳ぐんだ/沈んでしまわないように/時代は動いていくのだから」
そう、時代が変われば、私も変わる。そうして引き返すことのできないラインを飛び越えていくことで、私たちは人生におけるひとつの時代を更新しようとするのです。先の曲の歌詞の最後のフレーズは次のよう続きます。
「ラインが引かれると/呪いが放たれる/足の遅いやつだって/早くなることもある 今新しいことも/明日には古くなる/秩序だって/混沌に変わる 正義だって/悪徳になる/時代は動いていくのだから」
間違ったっていいじゃないか。それを抱えて生き続け、その生き様が歌になれば。ボブ・ディランの歌は、今のおうし座にそう語りかけているようにも感じます。
今週のキーワード
不完全の美