おうし座
身を任せるべき先
漂泊の人
今週のおうし座は、「落栗の座を定めるや窪溜り」(井上井月)という句のごとし。あるいは、人生の意味や自分自身をバラバラにしてしまうのではなく、胸に宿るものでひとつにしていくこと。
作者は幕末から明治にかけて、どこからともなく伊那谷へやってきて、およそ30年にわたり家もなく家族もなく、ただ俳句を友として独りとぼとぼ放浪して亡くなった漂泊の人。
その意味で、この「落栗(おちぐり)」には作者自身の人生が重ねられていると言えます。
栗は、縄文人にとって最も重要な樹木でした。栗の実は貴重な食料ないし保存食となり、木は建材となった。すぐれた縄文の遺物が出土する伊那という土地の特異性を、作者が無意識に感じ取っていたという考えたとしても、そう的外れなものではないでしょう。
「窪溜り」とは、文字通り山中のくぼんだ場所のことですが、それは地上のあらゆる生き物を受け止めてくれる自然の包容力の象徴であり、じつに作者らしい自分の身の任せ方だと思います。
おうし座から数えて「日常意識から葬り去られたもの」を意味する12番目のおひつじ座の満月(14日早朝)から始まっていく今週のあなたもまた、自分の身を任せるべき先を無意識のうちに感じとっていくことができるかもしれません。
置かれた場所で咲く花は
名前なんかなくても、野に咲く花は、見る者をはっとさせてくれます。
もうね、存在自体が美しい。それはおそらく、おのれの小ささに怖気づいていないから。自分がどれだけ不安かを語るより、自分の幸せを信じて疑わない素直さがそこにあるから。
花は恋人のために咲く訳ではないし、そもそも誰のために咲くのでもない。自然とそうすることがおのれの定めだと分かっているのだと思います。
それは不自由でしょうか? 不幸なことでしょうか?
生涯にわたり一所不在を貫いて死んだ井月の遺した句を読めば、どうしたってそんなふうには思えません。むしろ、住居や家族を手軽には手放せない現代人とは対極であるからこそ、そこには普遍的な人としての在り方のヒントがあるのではないでしょうか。
だから我々ははっとするのかもしれませんね。花を咲かせ、実(身)を落ち着かせ、やがて死ぬべき時に死ねばいい。今週は‟成り行き”を肌で感じとっていきたいところです。
今週のキーワード
鼻を利かせる