おうし座
無頼ということ
どんどん調子に乗ればいい
今週のおうし座の星回りは、言葉の真の意味での「無頼派」のごとし。したがって、謙遜しているフリを今すぐやめること。
無頼派作家の代表格とされた坂口安吾のような人間を見ていくと、無頼というのは単にドロップアウトなヤンキーを指しているのではなく、開き直って生き続けていくだけの強さを持とうとし続けた人間のことなんだということが分かってくるはず。
では、何に対しての開き直りを言うのか。それは自身の欠点や失敗に他ならない。
ただ、ここで勘違いしてほしくないのは、だからといって無頼は失敗の肯定であるという訳ではないということ。それは無頼ではなく単なる自分勝手であり、自己満に過ぎない。そうではなくて、失敗してもいいから、何か事を起こしてみせようということ。
お仕着せがましい‟正しさ”や常識なんて捨て置いて、何でもいいから夢中になってみろよって話だ。
それで例え周囲から非難されようと、中途半端な反省なんて、しない方がよっぽどいい。自分ひとりで抱え込んで‟解決”しようとするのは最悪だ。むしろ失敗を隠さずに公表し、あるいは誰かと共有すること。それが笑いに変わったら、もう最高じゃないか。
長々書いてしまったけれど、今週のおうし座に言いたいのは、要は思いきり失敗してみせろ。それが無理なら、まずは失敗しやすい環境を作れということ。もうそれに尽きる。
失敗ってのは次の失敗のためのネタなんだ
以下蛇足。
実際、安吾には失敗作も多かったが、むしろ強気に居直り、次の仕事に取り組まんとする全人的なバイタリティーに溢れていた。
そんな安吾について、評論家の七北数人は次のように評している。
「いつでも人生いかに生くべきかを真剣に考え、求道の念が強すぎて時にくずおれそうになる弱い心も隠さずさらけ出す。文章のはしばしに滲む悲しみは、青春の純粋な魂を失わずにいる人にだけ沁みとおっていく清水のようなものかもしれない。」
安吾だって初めから強い人間だった訳ではない。むしろ逆だったからこそ、不器用にも強くあろうとし続けたのであって、それゆえに真の意味で無頼たりえたのだ思う。
今週のキーワード
困ったら安吾の「風と光と二十の私と」を読もう(青空文庫)