おうし座
秋風と本願
風穴としてのこころ
今週のおうし座は、「遠くまで行く秋風とすこし行く」(矢島渚男)という句のごとし。あるいは、既存の幻影を捨て、自分自身を澄んだ状態にしていくような星回り。
「秋風」という秋の季語はすでに『万葉集』にも出てくる非常に古い季語ですが、その本意はただ秋に吹く風ということではなくて、時代を重ねるにつれ憂いを帯びた風として、そこに心変わりや哀傷といった心の翳りをにじませるようになってきました。
掲句の作者は現代の人らしく、「遠くまで行く秋風」とニュートラルな気象上の表現でさらりと打ち出しておいてから、「秋風とすこし行く」と本意の上に無常感を漂わせつつ、つかの間の秋風との同行に自身の心の動きを重ねている訳です。
14日(土)におうし座から数えて「古びて硬直してしまった現実に風穴をあける場所」を意味する11番目のうお座で満月を迎えていく今週は、あなたにとってそうした「秋風」を胸の内に吹かせていくのにはちょうどいいタイミングとなっていくでしょう。
自由になることで、風と光のよく通るようになった空っぽの意識は、こうしたタイミングでさらなる展開を迎えていくべく勢いづいていくはずです。
捨聖(すてひじり)の極意
透明さと自由という点で思い出されてくるのは、鎌倉時代のお坊さんである一遍上人のこと。
一遍は、この世の人情を捨て、縁を捨て、家を捨て、郷里を捨て、名誉財産を捨て、己を捨てという具合に、一切の執着を捨てて、全国を乞食同然の格好で行脚していきました。
その心の内にあったは、彼が「わが先達」として敬愛した空也上人の教えであり、それは次のように語られています。
「念仏の行者は智恵をも愚痴をもすて、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願にもっともかなひ候へ。」(『一遍上人語録』)
こうして捨てることのレベルを上げて畳みかけていった先で、一遍は「捨ててこそ見るべかりけれ世の中をすつるも捨てぬならひ有りとは」という歌を詠みました。
いわく、捨てきれるだろうかというためらいさえも捨ててしまえばいい。あらゆるものを捨てた気になって初めて、捨てきれないものがあることに気付くのである、と。
今週は、そんな一遍の歌を折に触れて読んでいくといいでしょう。
今週のキーワード
一切の事をすてて申す念仏