さそり座
おむすびころころ
穴を求めて
今週のさそり座は、『ころころと月と芋との別れかな』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、内なる子ども性がむくむくと膨れ上がって止められなくなっていくような星回り。
俳句で「芋」と言えば、さつまいもやジャガイモではなく里芋のことで、この時期にはお月見のお供え物にもなります。
この句もおそらく、お供えの里芋が何かの拍子で一つ転がってしまったのでしょう。まるで月光を浴びて生命でも得たかのように、ころころと光の届かないところまでいってしまっただけでなく、穴に落ちてそのまま冒険に出ていったのかも知れません。
どこまでメルヘンチックで、奇妙なまでに人の気配のしない一句です。しかし考えてみれば、日常においても人間の意識やまなざしの及ばない領域というのは案外身近な場所にも転がっているものなのではないでしょうか。
ただ、そうした領域というのは大人の目で見れば特に何の変哲もない、つまり隙間のない場所だったりする訳ですが、他方で子どもの目からすると、「あそこに隠れられるな」とか「あれで何かして遊べるぞ」とか、意外と瞬時に穴が見つかったりする。
その意味で、9月18日にさそり座から数えて「童心」を意味する5番目のうお座で中秋の名月(満月)を迎えていく今週のあなたもまた、ころころと穴を求めて転がっていく「芋」になったつもりで隠れ場所や遊び場所を探してみるといいでしょう。
「自然に行くのがいいんだな」
かつて「おにぎりを貰えなかったらどうするのか」と問われ、「おにぎりが貰えるまで歩くから、貰えないってことはないんだな」と答えた放浪の画家・山下清は、まさにころころと転がっていく「芋」のような生き方を体現した存在でした。
おにぎりというのは、その土地土地で取れた新鮮な具材が入っていて、それを「のり」で包んである。のりは海でとれた海苔であると同時に、万物を司るこの世の“法”でもあって、すなわち、人が体験しうる限りの「最高のご褒美」の象徴でもあった訳です。
そういうものがもらえる場所に行こう、行こう、絶対にたどり着こうといくら頭で思っても、近代的な論理や常識でガチガチに頭を縛られていると、なかなか辿りつけないものですが、山下清はいつもそういう場へごく自然に行くことができたのだと言います。彼は自然が好きな人でしたが、それ以上に自然体であることを大切にした人でもありました。
今週のさそり座もまた、そうしたおにぎりのもらえる気配をそれとなく感じながらも、焦らず成り行きに任せていけるといいのですが。
さそり座の今週のキーワード
まず「最高のご褒美」を想像してみる