さそり座
だんだん飽きていく
ぶらぶらしている感じ
今週のさそり座は、「世に棲む患者」のごとし。あるいは、「人間的魅力の摩耗」を防ぐという観点から自身の生活を見直していこうとするような星回り。
精神科医の中井久夫は『世に棲む患者』のなかで、「病気をとおりぬけた人が世に棲む上で大事なのは、その人間的魅力を摩耗させないように配慮しつつ治療することであるように思う」と書いていましたが、SNSを開けば誰かを貶めたりけなしたりする文言を見ない日はないような現代社会において、私たちがお互いに求めあっているのは、まさにこうした配慮なのではないでしょうか。
中井は治療者と患者とのあいだで問題となりがちな固定観念で、元患者が「世に棲む」ことの妨げとなってしまうものとして、大きく2つの考えを挙げています。
「第一は、『治るとは働くことである』という哲学あるいは固定観念」であり、これは容易に逆転して「『働くと治ったことになる』という命題となって患者をあせらせる」が、そも患者は「治るという大仕事をしている」のであり、「ぶらぶら」しているくらいでちょうどいいのだと中井は言います。
「第二には、『健康人』とは、どんな仕事についても疲労、落胆、怠け心、失望、自棄などを知らず、いかなる対人関係も円滑にリードでき、相手の気持ちがすぐ察せられ、話題に困らない」という命題」であり、これは「『完全治療』以外のものを治癒と認めない傾向」とも言い換えられています。
この2つをまとめるならば、世に棲む患者として生きたり、他の患者への配慮の上で大切なのは、(暇な時間などないと言わんばかりに)働くこと=正常ではないのだということ、そして、ほどほどに「病い」や「調子の悪さ」を抱えつつ生きることを受け入れていくこと、という風にも言えます。
8月4日にさそり座から数えて「社会的自己」を意味する10番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、ほどほどのロールモデルを再設定していきたいところです。
「自主的隷従」を前にして
不快な現実から逃れ、一時的な安寧を得るために、個の力ではどうしても抗いがたい力の犠牲となって、搾取されてしまい、次第に誰か何かに操られるままになっていく。しかも自分から進んでそうすることに慣れていくものです。
16世紀の早熟の天才思想家ラ・ボエシはそんな人間の性質を「自主的隷従」と呼びましたが、それは中世に限らず、むしろグローバル企業がつくりあげたプラットフォームの上で生活を回りがちだったり、SNSを通して他者の言動に振り回されがちな現代社会において、より一層顕著に見られる傾向にあるように思います。
ただ一方で、人間には一つの状態が長く続き、極まると「飽きる」、そして真逆の状態へと反転するという性質もあるようです。
その意味で今週のさそり座のテーマは、よりつまらない選択の連続に「飽きる」ことにあるのだ、という風にも言い換えられます。もちろん、すぐに完全に飽きる、というより、だんだん飽きていくその過程に自分はあるのだ、というくらいのつもりで過ごしてみるといいでしょう。
さそり座の今週のキーワード
私たちはすべからく世に棲む患者である(一億総躁うつ病社会)