さそり座
地下世界の拡張
愛欲の苦しみに
今週のさそり座は、刀葉林の罪人のごとし。あるいは、おのれの心に地獄を見出し、それを認め、受け容れていこうとするような星回り。
現代社会、いや現在の日本はますます「人生は苦であり、その苦は欲望を原因とする」という仏教思想を体現する社会となりつつありますが、梅原猛は『地獄の思想―日本精神の一系譜―』の中で、「釈迦の思想が極めて地獄の思想と結びつきやすい性格を持っている」と指摘しています。
例えば、八大地獄のうち比較的浅い第3の衆合地獄には、刀葉林という独特の刑罰場があり、そこでは樹木の葉が鋭い刃となっています。そして樹上には、美しく着飾った絶世の美人がおり、それを見て、罪人は樹に登っていくが、葉は刀のように全身を裂くのです。そうして上までゆくと、たちまち美人は樹下に姿をうつすので、罪人は欲情に燃えてまたもや全身を切りさかれる。このようなことが百兆年ものあいだ繰り返されるという。
梅原はこの刀葉林について、「私は、これを読むたびごとに、これがはたして地獄のことかと疑う。われわれの生きているこの世界に、これと同じような苦しみがありはしないか。このような愛欲の苦しみに、たいていの人は一度や二度は落ちこむのではないだろうか」と述べていますが、これは次のようにも言えるはずです。
すなわち、自分がこの世に根づいていることのリアリティを見失ってしまった現代人は、束の間の幻影を追い求める過程で自分の身に深い傷を受け、血を流すことによってのみ、生きていることの証しを得ているのであり、そうした社会ぐるみの自傷行為にまったく無縁であるという人間は、現代においてはほとんどいないのではないだろうか、と。
5月1日にさそり座から数えて「根底にあるもの」を意味する4番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の心をどこへ向けて拡張していくべきか、考えてみるといいでしょう。
ディープ・ドリーム
オーストラリアの先住民であるアボリジニにとって、「夢」は現実をはるかに凌駕する神話的で神聖な領域であり、彼らにとって「現実」とは、大地の奥深く潜んでいる「夢」の世界に、形が与えられていくプロセスに他ならないのだと考えられています。
文化人類学者たちが採集したエピソードの中には、夢の中で隣人を殺した村人が、次の日、その出来事を村長に告白し、その村人が隣人に対する償いを命じられたというものもある。これはすなわち、夢は現実と等価どころか、夢の世界こそが真実であり、より重視されるという彼らの世界観を浮き彫りにしてくれています。
夢についてはこれまでも多くの言説が展開されてきましたが、それは睡眠中の脳の働きから夢の機能を分析するものだったり、夢は現実を生み出す要素であるとするもの、連綿と継承された太古の神聖に帰属するとした見解、そして願望や深層心理といった物語的世界に収斂(しゅうれん)されるなど、じつにさまざまです。
夢を語るということは、その時点ですでに「現実」を織りなしている多彩な制度的な規範に則っているために、私たちは実際に自分の見た夢をありのままに客観化できないというジレンマに陥ってしまうのです。
その意味で、今週のさそり座もまた、自分が現に生きている現実に先行している夢へと意識の焦点をずらしてみるといいでしょう。
さそり座の今週のキーワード
浅い夢から深い夢への目覚め