さそり座
だんだん空っぽになっていく
過去から未来へ
今週のさそり座は、西田幾多郎における歳月の積み重ねの不思議のごとし。あるいは、自分を構成する重要な要素としての「過去といふもの」に徹底的に向き合っていくような星回り。
日本史上でも指折りの哲学者として世界的に評価されている西田幾多郎は、「絶対矛盾的自己同一」などの用語の難解さのためか、国内ではその思想的可能性はいまだ十分に評価が定まっていませんが、彼が遺した書簡に目を向けてみると、思想だけでなくその人柄の奥深さにも気付かされます。
西田は50歳で長男を、55歳で妻を亡くした他、若くして亡くなった娘を何人も家族に持つなど、家庭に多くの病人を抱えて長いあいだ苦労してきた人でしたが、学生時代からの終生の友であった山本良吉へ57歳の時に書いた手紙の中で、歳月の積み重ねの不思議について次のように述べています(『西田幾多郎全集第18巻』)。
人間といふものは時の上にあるのだ。過去といふものがあつて私といふものがあるのだ。過去が現存してゐるといふ事が又その人の未来を構成してゐるのだ
西田は続けて、それを特に妻が7、8年前に倒れた時に深く感じたと言い、「自分の過去といふものを構成してゐた重要な要素が一時なくなると共に自分の未来といふものもなくなつた様に思はれた」という切実な感想を記しています。
明治維新や文明開化の号令からの流れと軌を一にするべく、当時(あるいは今でもなお)“過去に縛られず未来に開かれて生きる”ことこそ自らの自由意志によって人生を切り開く、あるべき近代人の姿なのだと考えられていたことを思えば、西田という人が時代的潮流に惑わされることなく、ただひたすら徹底的におのれの人生や体験をもとに思索を深めていったのだということが改めてよく分かるのではないでしょうか。
3月20日にさそり座から数えて「自己規律」を意味する6番目のおひつじ座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていく今週のあなたもまた、そんな西田のようにどうしたら世に評価されるかではなく、まず自分にとっての真実を何度も何度も掘り下げていくことを大事にしていきたいところです。
空っぽの器となること
ここで思い出されるのが、エミリー・ディキンソンの「Ample make this bed(広く作れこのふしどを)」という詩の一節です。
『ソフィーの選択』(1982)という映画の主人公はアウシュビッツから解放されたポーランド人女性で、移住先のニューヨークで恋に落ちる。英語がまだうまくしゃべれない彼女に、男が読んであげたのが先のエミリーの詩でした。彼女の心はその言葉に救われたのです。
Be its mattress straight,(ベットのマットはまっすぐに)
Be its pillow round(枕も丁寧にふっくらとさせなさい)
そうしてベッドを周到にメイクしなければならないほどに、世間の喧噪の誘惑は強く、私たちの精神を惑わせる。けれど、例え救いのない日々であっても、ベッド(眠り)を丁寧に整えて、深い眠りにつき、心静かに来るべき日を待とう。
それはまるで耳元で不意に聞こえてきた神様のささやきのようであり、それがたまたま男の口を借りて彼女のもとへと届いたことで、彼女はある種のメタモルフォーゼ(変態)を遂げてしまった訳です。
今週のさそり座もまた、世間的な善だとか正しさといったものとは関係ない文脈において、そうしたメタモルフォーゼな一瞬や偶然が起きていくかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
ふたたび満たされるために