さそり座
あるべき交替劇
無気力よりも行動を
今週のさそり座は、『悲劇の誕生』を書いたニーチェのごとし。あるいは、精神を麻痺させる平和よりも、ある種の戦争状態を望んでいこうとするような星回り。
西洋の知的想像世界では、長いあいだペシミズムとニヒリズムは仏教と結びつけられてきましたが、そうした潮流の中にあって、ニーチェは明らかに“反仏教”の立場に立っていました。
例えば彼の代表作である『悲劇の誕生』は、インド産の仏教に対してギリシャ産の「悲劇」こそが、われわれ西洋人の魂を真に救ってくれるのだ、という確信に基づいて書かれていましたし、そこでは仏教は「穏やかな無為」でした。つまり、キリスト教の求心力が落ちていった19世紀後半の西洋世界において、「仏教」よりも「悲劇」を選んだということは、無気力よりも行動をとるという意思表示に他ならなかったのです。
言い換えれば、それは自分は闘争に耐えるほど強く、平穏しか望まないほど弱くはないと、自己を確認することであり、非暴力によるあきらめに依ってただ坐すことよりも、ぶつかり合う力と力の働きによる支配/被支配のうねりの奔流に身を任せる、ということでした。
そして、この著作の執筆を通して、ニーチェの内部には次のような見取り図がしだいにはっきりと明確に浮かんでいったのではないでしょうか。一方には、仏教、平和、静寂主義、虚無を。他方には、悲劇、運命、闘争主義、存在を……。
9月7日にさそり座から数えて「開き直り」を意味する8番目のふたご座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、今後も生き続けて在るための原動力を見定めていくことがテーマとなっていきそうです。
生命交替のドラマ
1953年に公開された小津監督の『東京物語』は、家族崩壊の物語であると同時に、生命交替のドラマでもありました。それを象徴しているのが、東京で医者になっている長男たちに呼ばれて上京し、しかしいまは多忙な都会人となってしまった長男夫妻や長女らになじめず、厄介払いされるように熱海で一泊して、帰ってすぐに死ぬ老妻と残された老夫のありようでしょう。
もう60年以上前の映画ではありますが、ひるがえって現代に目を戻してみると、そこには老いも若きも等しく自分の生にこだわって死から目を逸らし、古い生命が新しい生命に立場を譲らず、新しい生命が古い生命を敵視するという殺伐とした構図がずいぶん露骨になってしまったように感じます。
これは言ってみれば、あるべき生命の交替のリズムがすっかり狂ってしまった、ということなのかも知れません。そして今週のさそり座もまた、どこかでそうした「あるべき生命の交替のリズム」ということを思い描き、少しでもそれを取り戻そうという動きが出てくるように思います。
さそり座の今週のキーワード
あるべき生命のリズムと循環