さそり座
絶望を始点とする
いのちの不思議の感触
今週のさそり座は、『秋風や眼前湧ける月の謎』(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、心の底に深く深く潜んでいる熱情が、透徹したものの見方へと昇華していくような星回り。
掲句の前書きには、作者の従弟(いとこ)だった医科大学生が蘆(あし)の湖で溺死し、荼毘(だび)にふすべく葬儀場へと届けた旨が書かれています。その夜は月が出ていたのでしょう。
ただし「眼前に湧ける月の謎」というのも、決して月が夜空にあがってくることそのものについての不思議を言っているのではなく、眼前のいとこの死から喚起された人生の謎、人の生き死にや運命に対して湧きおこった深い懐疑の念のことであるように思われます。
物事を客観視することができるためには、一般的にはどこまでも冷静に心の動きをおさえることが肝要ですが、作者の場合のように、極端に取り乱し、こころが熱すれば熱するほど、かえって心に落ち着きが出てきて、これまでとは打って変わったものの見方ができるようになることだってある訳です。
その意味で、ここで言う「月の謎」とは、ありふれた涙をふるい落とし、乾いた眼でなければ見つけることのできない、いのちの不思議をとらえた作者なりの感触なのだとも言えるかも知れません。
8月31日にさそり座から数えて「表出」を意味する5番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、体面をつくろって真実を埋めてしまう代わりに、心を強く刺激してくるような「謎」にむしろどこまでも搔き乱されていくべし。
絶望してこそ生き延びられる
ここで思い出される作品に、当時23歳だった北条民雄が実際にハンセン病施設の全生病院に入院した最初の1日の出来事を材料に書かれた『いのちの初夜』という小説があります。
それまで自由に行動していた主人公の尾田は、入院とともに社会での足場を失い、身体が変形し、崩れ落ちたかのような重症患者の姿を、みずからの未来を先取りするものとして見せつけられたことで、絶望が一挙に押し寄せ、自殺を企てるものの失敗します。そして、そんな尾田の挙行の一部始終をじっと観察していた先輩患者である左柄木という人物が、尾田に対して次のように語りかけるのです。
僕思ふんですが、意志の大いさは絶望の大いさに正比する、とね。意志のない者に絶望などあらう筈がないぢやありませんか。生きる意志こそ源泉だと常に思つてゐるのです。(中略)尾田さん、きつと生きられますよ。きつと生きる道はありますよ。どこまで行つても人生にはきつと抜路があると思ふのです。もつともつと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりませう。
ここで尾田がぶち当たった絶望感もまた、どこか先の「月の謎」に通じるところがありますが、左柄木の言葉を借りれば、人はそうして謎にぶつかって行く中で、はじめて「人生の抜路」を見つけ出していくことができるのはでないでしょうか。今週のさそり座もまた、絶望を終点とするのではなくむしろ“始点”とする感覚へと開かれていくことがテーマとなっていきそうです。
さそり座の今週のキーワード
「尾田さん、きつと生きられますよ。きつと生きる道はありますよ。」