さそり座
頭よ頭、空(から)になれ
雷の夜を昇る
今週のさそり座は、『昇降機しづかに雷(らい)の夜(よ)を昇る』(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、みずからの転機に思い当たっていくような星回り。
昭和12年の作で、一見すると都会的ながらどこか暗い情景を淡々と詠みあげている句ですが、じつは作者が特高警察に検挙される原因となった句でもあります。
警察側の解釈では、「雷の夜」=国情不安な時に、「昇降機」=共産主義思想が高揚するさまを暗喩的に詠んだというもので、新興俳句運動につらなる同志のあいだで闘争意識を高める目的が掲句にはあるに違いない、という訳です。
もちろん、これは戦時下ということを考えても、完全な冤罪事件であり、まごうことなき言論弾圧でしょう。実際、作者はのちに自句自解のなかで「気象の異変と機械の静粛との関係を詠いたかっただけだ」と語気を強めて書いています。
しかし、この句が一時的に作者の俳句活動を停止せしめたという点で、まさに神の怒りのごとき“雷の一撃”となったこと、そして戦後に自由となって旺盛な俳句活動を再開する中で新境地を開いていったことなどを鑑みると、暗雲立ち込める天へと昇っていった「昇降機」という表現で作者の運命を予言した一句だったとも言えるのではないでしょうか。
その意味で、16日にさそり座から数えて「到達点」を意味する10番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分がこれからどこへ向かっていこうとしているのか、無意識に察知していくようなことがあるかも知れません。
決断しない勇気
かつてキルケゴールという哲学者が「決断の瞬間とは一つの狂気である」と書いたように、たしかに良くも悪くも、なにかを決断するという行為は人を盲目にするところがあります。
哲学者の國分功一郎は、そうした盲目的狂気を備えた「決断」をめぐって、「周囲に対するあらゆる配慮や注意から自らを免除し、決断が命令してくる方向に向かってひたすら行動する。これは、決断という「狂気」の奴隷になることに他ならない」と述べており、さらに私たちが常日頃からそうした決断をあえて要請しようとするのも、「実はこんなに楽なことない」からなのだと喝破しています(『暇と退屈の倫理学』)。
確かに生きることの苦しさが増すほど、私たちはみずから奴隷になりたがる傾向にあり、「決断」という言葉に漂う、何か英雄的な響きとは裏腹に、実のところそれはわたしたちに「心地よい奴隷状態」をもたらしてくれる、物事を深く考えずにすむための習慣であり、発明品なのだとも言えます。
なるほど、毎日の通勤時間にルートの選択肢が複数登場するたびにいちいちAかBかで悩んでいれば、職場に着くころにはヘトヘトになってしまいますが、とはいえ、それがある種の「狂気」なのだという自覚さえなくなってしまえば、人は一度築いた習慣からみずからを解き放つこともしなくなってしまうはず。
今週のさそり座もまた、あえて戸惑いや悩みの最中に身を置くことで、いつものコースをはずれていく自由を大いに自身に与えていきたいところです。
さそり座の今週のキーワード
「決断の瞬間とは一つの狂気である」「実はこんなに楽なことない」