さそり座
決して食べ尽くせないものと向きあう
最後に残るのは自然
今週のさそり座は、「手の内」の形を整える剣士のごとし。あるいは、自然をつかむ力としての握力を取り戻していこうとするような星回り。
例えば武道家でもある思想家の内田樹とヨーガ指導者の成瀬雅春の対談を収録した『善く死ぬための身体論』では、最近は幼稚園でも保育園でも、砂場で泥団子をつくったりして、泥だらけになって遊ぶ機会が失ってしまい、その影響で子どもの手でものを握る力が落ちているんじゃないか、そしてそれは生命力の低下を象徴しているという話から、自然に直接触れることの重要性について、次のように語られています。
内田 武道をやっているとわかりますが、指の握りや手のひらの開きなど、「手の内」は全身の骨格や筋肉の調整と不可分の関係にある。太刀の柄を握る手の内は実によくできた形で、手の内を正しい形にするだけで、全身がぴたりと整う。すごく微妙なんです。指の角度を少し変えただけで、身体の構造や強さが変わる。そういうデリケートな指や手のひらの操作が身体運用にとって決定的に重要なんだということは、説明しても、なかなかわかってもらえないですね。(…)
成瀬 ムドラー(印)は手の形をこういうふうに変えるのね。生徒たちには、手の形の違いで身体の中を流れるエネルギーがどう変わるか観察させて、こうやったら明らかに変わるという感性を磨かせていくんです。絶対違いますからね。ほんのちょっと手の形が変わっただけで、身体の中のいろんなものが変わる。そういうものがちゃんと見つかるというか、自分で感じられる感性を持たないとダメですね。
内田 (…)これって、ゲームに熱中することと反対ですよね。ゲームやPCだと、いくら観察しても、最終的には「人為」に出会うわけですけれど、身体というのはどれほど人工的で都市化された環境でも、最後に残る「自然」なわけですから、そこからは無限の情報が汲み出せる。
いつまでも人為でつくられた人工的な環境から出ることに不安しか感じられなければ、おそらくその行き着く先は「死にたいけれど死ねない」といった発言する人の内面の範疇を出ないでしょう。
その意味で、5月6日に自分自身のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、それくらいの危機感をもって、まず身近な自然をつかみ、触れることの大切さや、その奥深さにあらためて回帰していくことがテーマとなっていきそうです。
頭から食べたい
あのいかにも気難しそうな顔の芥川龍之介も、25歳頃の恋文のなかで「ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまひたい位可愛いい」なんて書いているのですから、人間というのは分からないものです。
そう、本当に食べてみないと分からない。芥川の恋文を読んでいると、まるで子供が書いたような文章という印象を受けますが、考えてみれば子供にとって交わる快楽に匹敵するのは食べることに他ならず、芥川もどこかでそうした「食べること」と「交わること」の深い関連に気付いていたのでしょう。
けれど、相手を食べる意欲を示す男は多いけれど、逆に相手に食べられる覚悟を固められる男はなかなかいないように感じます。
交尾を終えた後にオスがメスに食べられてしまうといった構図は、なにもカマキリの世界だけに限った話ではなく、神話や伝承、絵本や昔話においてはたびたび顕在化してきましたが、現代日本ではそうした原始的な衝動が解放される機会やきっかけがあまりにも制限され、人々の目から隠されてしまっているのではないでしょうか。
今週のさそり座もまた、自分がいま一体どんなものや相手を血肉化せんとしているのか、頭ではなく身体でしっかりと感じていきたいところです。
さそり座の今週のキーワード
からだが欲するものを食べるがごとく