さそり座
自分なりの官能性の探求
知識や技術を超えて
今週のさそり座は、「第三の性」の向こう側としての「二人称の性」のごとし。あるいは、答えが出ない途中段階を手探りで進んでいこうとするような星回り。
今まさに日本社会はファシズムへと向かいつつありますが、こうした思考や行動の癖というのは、戦争の世紀であった20世紀の残滓(ざんし)でもある一方で、『心の深みへ「うつ社会」脱出のために』に収録された臨床心理学者の河合隼雄とノンフィクション作家の柳田邦男の対談では、じつはそうした思考の癖は性の問題においては、肉体関係の欠乏とも結びついているのだという興味深い指摘がなされています。
河合 現実にそういうカップルが増えている。なぜなら、技術として知ってしまうと、そんなにおもしろくないからです。関係として追求したらこれは答えが出ないんだけど、単なる経験や技術というのは、人間関係の怖さとか恐ろしさとかおもしろさと違う次元にある。そこでもういっぺん魅力を再発見しなくちゃならないんですが、残念なことに非常に早くから違う知識をたたきこまれているから、それを破って発見するというのは難しいことなんですね。そういう意味でもいまの若者は気の毒ですよ。
柳田 そうですね。いちばん大事な関係性になると自分でつくっていくよりしようがないですからね。そういうものも含めてこれからは、もう一度、文学とか哲学とか、ようするに文科系的なものが再認識され、あるいは表舞台に出てこなきゃいけない。
要するに、性的な行為そのものとカップル間の深い人間関係の形成というのは別物であり、知識や技術としての「三人称の性」を超えつつも、その先にある、不可解きわまりない「二人称の性」というもののとっかかりをつかめない途中段階にあるということなのかも知れません。
その意味で、20日にさそり座から数えて「習慣」を意味する6番目のおひつじ座で新月(日蝕)を迎えていく今週のあなたもまた、そうした誰も答えが言えないほどわけの分からないものを、自身のうちに改めて抱え込んでいけるかどうかが問われていくでしょう。
アースと繋がる
例えば、村田沙耶香の小説『ハコブネ』に制度化された性別や恋愛の“外”に広がる可能性の世界を志向している知佳子という登場人物が出てきます。「人である以前に星の欠片である感覚が強い」彼女にとって、他の人たちは「永遠に続くおままごと」のような「共有幻想の世界」に生きており、そのルールの最たるものが「性別」なのだと言います。
彼女は「その外にいくらでも世界は広がっているのに、どうして苦しみながらそこに留まり続けるのだろう」と考え、性別を二元論で考え過ぎる他の登場人物に対しては「力が入りすぎるとね、身体もほどけないんだよ」などと語ったりするのです。
そして祖父から聞いた宇宙の話に基づき、太陽を「ソル」、地球を「アース」と呼んでいた知佳子は、肉体感覚ではなく「星としての物体感覚」を追求するうち、やがて「物体として、アースと強い物体感覚で繋がる」という発想を思いつき、「ヒトであることを脱ぎ捨て」る道へと一気に進んでいきます。
すると、肉体そのものが消滅する訳ではないにせよ、認識において知佳子の臓器は「粘土」に、性器は「静かに水が流れ出て」いる「自分の中央にある水溜り」へと変貌し、彼女から出る水と熱が「アース」に流れ込み、その「ひんやりとした表面の温度と湿気」が知佳子に染み込んでくるという交流へと展開していくのです。
知佳子が本当に記号としての性別から完全に脱しえたのかはともかくとして、少なくとも新しい官能性を探求する企てとしては興味深いものがあるのではないでしょうか。
その意味で今週のさそり座もまた、<ここ>にはない何かを強く想像することを通じて、<ここ>を生きていくための手がかりを改めて見出していくことができるかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
アースと強い物体感覚で繋がる