さそり座
いったん人間やめたってよ
意志依存に距離をおく
今週のさそり座は、切断しないでいること石のごとし。あるいは、日頃あまりにもあっさりと意志にまとめ上げてしまいがちな情報のすり合わせプロセスを丹念にたどっていこうとするような星回り。
私たちは何かしら自分たちの身に不幸に見舞われたり、つらい出来事が起きると、どこかで区切りをつけて「前向きに進んでいく」ことをよしとする傾向がありますが、ハイデガーという哲学者は、そこで無意識的に行われる「過去を自分から切り離そうとする」ことこそ、実はみなが有難がっている「意志」の本質に他ならないのだと喝破しました。
そして、それを受けて日本の國分功一郎は、むしろ逆に「意志という概念こそ「薬物的」なのではないか」と指摘しています。
意志にも薬物のような効果がある。「未来志向」というのは非常にライトなかたちで世の中に浸透しているとも言えますよね。子どもたちに対しても、「未来の夢に向かって羽ばたこう」とかそういうことばかりが言われている。何か思い出したくない過去をみんなで必死に無視しようとしているようにも見えます。過去を忘れ、目を輝かせて、微笑みながら未来の夢に向かってジャンプしていく。それはハイデガー的に言えば、「考えるな、考えるな」と言っているに等しい。(『<責任>の生成―中動態と当事者研究』)
2月14日に自分自身の星座であるさそり座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、
過剰な意志依存をいったん落ち着かせるべく、意志がもたらすある種のパターナリズムを解除して、かすかな違和感やまとまらなさに踏みとどまっていくべし。
退化ではなく螺旋
意志によって決断するのをやめるということは、人間らしい人間ではなくなっていくということでもあります。その意味で思い出されるのが、『ぼくは始祖鳥になりたい』というフレーズ。これは、宮内勝典さんが1998年に出した小説のタイトルです。
始祖鳥というのは恐竜と鳥のあいだをつなぐ古代生物ですが、ここでは自分たち人間が未来に鳥であったり恐竜になったりという変形可能性について暗示されている。つまり、動物になることは退化ではなくて、もっと進化することだという可能性がここで大胆にかつ抒情性をもって語られている訳です。
こうした話は、『ヒューマンスケールを超えて―わたし・聖地・地球』という対談本の中でも詳しく論じられているのですが、要はある種の先祖返りをするうちに、既存の在り方とは異なる意識や身体性へと変容していく。それが脱・人間主義的発想の原動力にもなっていくということ。
その意味で、今週のさそり座もまた、これから先を長い目で見た時に大事にしていくべき価値観や、この地上での在り方そのものの見直しを迫られていくことになるかも知れません。
さそり座の今週のキーワード
自らをエネルギーの場として思い描いていく