さそり座
たゆたうぽ
人工知能との決定的違い
今週のさそり座は、『ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ』(田島健一)という句のごとし。あるいは、意味の牢獄からするりと抜け出していこうとするような星回り。
人間と言うのは自分自身の行為についてであれ、その人生そのものについてであれ、どこまでも意味を追い求めてしまう存在であり、それゆえ時に意味に囚われ、がんじがらめになってしまいます。
特に高度情報化社会に入り、日々大量の情報を浴びるようになった昨今では、いかに「自分にとって」意味のある情報だけを取捨選択し、それ以外を無視する方向に適応することで、多くの人が進んで人工知能化しているように思います。
その意味で、掲句に何か分かりやすい記号的、ないし個人的意味を探そうとする人ほど、肩透かしを喰らうはず。「ただならぬ海月」はなんとか分かっても、その後の「ぽ」の意味をいくら考えても分からない。
ただそうであるにも関わらず、最後の「追い抜くぽ」まで来ると、なんとなくくちびるが勝手に覚えて、「ぽ」と繰り返したくなる。それこそが人間と人工知能の決定的な違いであり、掲句の狙いでもあるのでしょう。
その意味で、6月29日にさそり座から数えて「文脈からの逸脱」を意味する9番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、海に浮かぶクラゲのごとく、ただただこの世をたゆたうぽ。
大岡信の『さわる』
さわる。
木目の汁にさわる。
女のはるかな曲線にさわる。
ビルディングの砂に住む乾きにさわる。
色情的な音楽ののどもとにさわる。
さわる。
さわることは見ることか おとこよ。
否。視聴覚メディアの発達した現代において「さわる」ことは通常、「見る」や「聞く」と比べてあまり重要とはされないておらず、あくまでそれらの感覚の‟ついで”に行われる動作とされることがほとんどです(それゆえに、触覚は‟隠れて”使用されがちでもある)。
ところが、この詩ではあえて通常の意味での触覚の対象ではないような、さまざまな対象に「さわる」という言葉を使用していくことで、既存の感覚的常識を異化し、「さわる」という感覚を第一義に近い位置へと転倒させていこうとしている訳です。
また、詩の最後に「おとこよ」とあるのは、細い指を持つ人は触覚においてより敏感であるという発表もされているように(「the Journal of Neuroscience」,2009年)、一般的に女性は男性よりも指が細く、触覚に優れているという前提を踏まえれば、この詩の意図する転倒が男性優位に作られた社会や文脈まで睨んだものであるということが分かってきます。
今週のさそり座もまた、どれだけ窮屈な文脈や状況を自分なりに脱却していくことができるかが問われていくのだと言えるでしょう。
さそり座の今週のキーワード
すぽぽぽぽーん