さそり座
深い水の流れを聞く
水源を探す
今週のさそり座は、『紫陽花に吾が下り立てば部屋は空ら』(波多野爽波)という句のごとし。あるいは、一見すると何もない場所にこそ注意を向けていくような星回り。
おそらくは梅雨の晴れ間だったのでしょう。咲いた紫陽花(アジサイ)の花を見ようと、作者は庭に降り立った。ここで普通なら、目の前のアジサイの美しさだったり、細かな色の違いや咲き具合の妙に意識が集中していくところなのですが、作者の場合はそこが違った訳です。
ふっと後ろが気になって、日差しがあたって明るい庭から振り返ったら、「空(か)ら」の部屋がそこにあった。暗くって、なんとなく湿っぽくて、何もないがらんどうなのに、どうしても目がそこに吸い込まれてしまう。
なんとなく死者の香りがする一句ではありますが、それは鬱々とした季節を静かに彩る紫陽花という花のいささか妖しい存在感のせいでもあるのかも知れません。すなわち、ここでは明るい日差しのもとで咲き乱れる花そのものよりも、花を育てた季節の質感がより濃厚に宿る空間の方にこそリアリティを感じているのでしょう。
同様に、14日にさそり座から数えて「実体」を意味する2番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、目に見えて分かりやすい美しさよりも、その目に見えない実体や源の方にこそ強く惹かれていくはずです。
「涸れ川(ワディ)」の下の水
お通夜の席で死んだ人の悪口を言ってはいけない、とよく言われますが、これは五感のうち聴覚だけは最後まで残るからなのだそうです。だから、臨終の床にあるときには、なおのこと声をかけてやることが大切になり、たとえ意識は失われようと、声の波長だけは伝わるということもあるのかも知れません。
日常においても、他者の出す音や声を聞くことで、私たちは孤独を癒している訳ですが、声というものは聞こうとしてはじめて聞こえてくるものでもあるのではないでしょうか。昔、ユダヤの詩人はこう歌いました。
人の口の言葉は深い水のようだ、
知恵の泉は、わいて流れる川である。(箴言18章4)
砂漠地帯には日本のように年間を通して流れいてる川はないようですが、雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れる「涸れ川(ワディ)」というものがあり、詩人は言葉はそんな“涸れ川の下にある水”のようなものだと言っているのです。
心があるならその水は、湧き出て流れる川となる。今週のさそり座もまた、そんな風にひとつの川となっていくのを実感していくことができるはず。
さそり座の今週のキーワード
言葉は深い水のよう