さそり座
永遠の原始人たれ
共生文化のぶり返し
今週のさそり座は、『余花に逢ふ再び逢ひし人のごと』(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、古き良き時代の残り火を思い出していこうとするような星回り。
作者65歳のころの句。初夏に咲く遅咲きの桜をみかけ、まるで懐かしい人との再会を果たしたようだと、足が止まったのでしょう。たとえ春にたっぷりと桜を堪能していたとしても、こうして思いがけず出会う「余花」への感慨は格別なものがあります。
あるいは、かつて見た思い出の桜の記憶がよみがえり、まるで目の前の花が実際の人間のように近しく感じられて、こう喩えたのだとも考えられます。
しかし、近しい結びつきを同じ人間同士だけに限定して考えるようになってしまったのは、ある意味で近代的な病いと言ってしまっていいのかも知れません。「ドラえもん」もそうですが、日本ではもともと花や自然や動物たちと非常に近しい関係を築いてきた訳ですが、掲句もまたそうしたかつてあった共生文化のぶり返しの一例なのだと言えます。
同様に、5月5日にさそり座から数えて「パートナーシップ」を意味する7番目のおうし座で「異端」の天王星と「主体性」の太陽が重なっていく今週のあなたもまた、そうした一風変わった結びつきに自然と開かれていきやすいでしょう。
原始的情熱を呼び覚ます
かつての共生文化いうことで思い出されるのは、思想家の井筒俊彦が『ロシア的人間』の中で、かの地に棲む人々を称して用いた「永遠の原始人」という言葉です。
行けども行けども際涯を見ぬ南スラヴの草原にウラルおろしが吹きすさんでいるように、ロシア人の魂の中には常に原初の情熱の嵐が吹きすさぶ。大自然のエレメンタールな働きが矛盾に満ちているように、ロシア人の胸には、互いに矛盾する無数の極限的思想や、無数の限界的感情が渦巻いている。知性を誇りとする近代の西欧的文化人はその前に立って茫然自失してしまう。
現代において西欧社会以上に合理的知性を正しいものと信じてきっている日本人にとって、おそらくこうしたロシア的な極限性は得体の知れない怪物のように映るかも知れません。しかし今週のさそり座にとって、「余花」のごとき常識や論理の枠内に抑えこむことが不可能な自然の諸存在は、いつも以上に身近なものと感じられてくるはず。願わくば、それらを圧殺してしまうことなく、静かに受け止めていくだけの呼吸の深さを確保していきたいところです。
さそり座の今週のキーワード
矛盾に満ちた大自然のエレメンタールの働き