さそり座
夢に浮かんでいるものとしての日常
庭の朽臼
今週のさそり座は、「土間にありて臼は王たり夜半(よは)の冬」(西山泊雲)という句のごとし。あるいは、「見れども飽かず」ということの意味を知っていくような星回り。
作者の家の庭にはふるい「臼(うす)」があって、長年にわたって少しずつその臼が朽ちていく様を観察してきたのだそう。
それで、作者は他にもひとつの蝸牛がゆっくりとその朽ちた臼のまわりを這いまわっている句や、若竹のそばに静かに朽ちながら佇んでいる様子を句に詠んでいるのですが、掲句では冬の夜、土間に置かれた臼がすべてのもののうちで一番くらいの高い、王者のごとく見えるのだと言うのです。
これなどは、特にずっと臼を見続けてきた作者の心中から、おのずから醸し出てきた感慨であり、と同時にあくまで事実の写生でもあることで、絶妙な味わい深さを打ち出すことに成功している。
そうした、長年にわたって観察してきたものがあるかどうかということが、どうも俳人としての面白さや魅力ということと繋がっているところがあって、これは恐らく俳人に限った話ではなく、すべての表現者に通じていくことであるように思います。
11日にさそり座から数えて「心の基盤」を意味する4番目のみずがめ座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、何気なくでも長年まなざしを送り続けてきたものに自分が支えられているのだということを実感できるかも知れません。
悪い夢こそ味方につける
なんとなく車の後部座席に乗っていて、ハッと運転席を見ると、自分の嫌っているあいつ、心から憎んでいる相手が運転していた。そういう夢をみたことはある人は少なくないはず。
こうしたビジョンは、自分が生きてこなかった半面である「影(シャドー)」の典型的なイメージと言われていますが、ある意味で、芸術家特有のひらめきというのは、そうした自分の中の嫌な部分、認めなくない側面とどう向き合っていけるかに懸かっているのだとも言えます。
ただし、だからとって今週あなたが急にいい人になる必要はありません。そうではなくて、ああ自分のすぐ横で、嫌な部分、認めたくない側面の自分が意識のハンドルを握って運転していることもある。そういうこともあるのだと、なんとなくてでも分かりながら、やっていけるかどうか。
俳人であれ何であれ、ひらめきを何かしら明日へと生かしていけるかどうかを分けるのは、そういうほんのちょっとした在り方の違いに他ならず、今週のさそり座はそこを少なからず試されていくはず。
さそり座の今週のキーワード
夢に支えられるために