さそり座
ワナビー天使
蓮の枯れっぷり
今週のさそり座は、「始まりの終りのなくて蓮枯るる」(山尾玉藻)という句のごとし。あるいは、語らずして語ることを目指していくような星回り。
枯れ果てて、水面に折れた矢が刺さっているかのような無惨な茎ばかりの姿になった蓮のことを「枯蓮(かれはす)」と言いますが、それ自体が沈黙のうちに大いに魅力的な語りと成り得ているように思います。
蓮はおのれに流れる時間に逆らうことなく、こころを尽くしていのちを使い切り、あんな風に枯れ果てる訳ですが、掲句ではその姿を醜く不気味なものとして見るのではなく、「始まりの終り」すなわち物語が完結しきっていない不完全燃焼感が残っていない見事な姿として捉えているのです。
ここでのポイントは、自分の生きた証しを、権威的な物言いや過剰な装飾によって表わすのではなく、ただその枯れっぷりによってのみ表わすその示し方。俳人においても、俳句は作者の思想や哲学から生まれるのではなく、まず作品が先行し、そこからおのずと滲み出るものが、その作家独自の思想や哲学として誰かに発見されるのではないでしょうか。
29日にさそり座から数えて「老い方」を意味する10番目のしし座で下弦の月(離脱と解放)を迎えていく今週のあなたもまた、歳を重ねることの醍醐味を追求されていきたし。
クレーの「天使」
人のためとか、世のためとか、そういう道徳臭い手垢に染まった想像力は、今のあなたにとっては無用の長物以外何物でもないのかも知れません。例えばパウル・クレーが日記に書いていた夢の話の中に、日本人の芸者に三味線の音を所望する次のようなくだりがありました。
心が誘惑に駆られると、たちまち私の耳はかすかに戸を叩く音をとらえた。その音に誘われていくと、小さな守護神が表れ、可愛らしい手をさしのべ、私を天界にそっと連れて行った
こうした身体ごと飛んでいってしまうような「軽み」の感覚こそが、今のさそり座に必要なものなのだと言えるのではないでしょうか。
なおクレーにとって「天使」とは、「傷つきやすさと極端な脆さを持ちながら、われわれ人間を保護する聖霊的な存在」のことを指しているらしいのですが、これなどはまさに冒頭の句の無言の「枯蓮」そのもののように感じます。
さそり座の今週のキーワード
翼の折れたエンジェル