さそり座
ささやかな救い
庭の隠者
今週のさそり座は、「夏草に鶏一羽かくれけり」(福田把栗)という句のごとし。すなわち、自分が見たいものを誰か何かの中に見出していくような星回り。
明治35年作。作者は日本新聞社の社員で、正岡子規とも同僚でした。とすると、掲句のような光景も東京ないしその郊外だったのでしょう。明治の東京ではまだこうした景が日常的に見られたのです。
鶏といえばかなり大きな鳥ですが、庭で放し飼いにしている鶏がすっかり隠れてしまっているというのですから、生い茂った夏草の豊かな量感が伝わってきます。
もちろん鶏はペットというより、まず卵を取り、もしもの時にはその肉を食べるために飼われていたはずですが、掲句の印象ではそれと同時に、庭で遊んでいる姿を見て、作者は疲れた心を休めていたのではないでしょうか。
あるいはそれは、世俗から離れられない自分とは異なる、もう一人の自分、「隠者」として想いのままに探究に打ち込んでいる自分の姿でもあったのかも知れません。
12日にさそり座から数えて「鏡」を意味する7番目のおうし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、心の奥底に潜んでいるもう一人の自分を解き放っていくことがテーマとなっていくでしょう。
曹植の「野田黄雀行(やでんこうじゃくこう)」
曹植(そうしょく)は、三国志の英雄である魏の曹操(武帝)の息子のうち最も詩人としての才に優れていたとされる人物でした。ただ、帝位を継いだ兄の曹丕(文帝)とは仲が悪く、この楽府(民間歌謡ふうの歌)は危険を感じている自分の身を野のスズメに託して歌ったもの。
その冒頭は「高樹 悲風多く 海水 その波をあぐ」から始まるのですが、これは裏返せば低い樹には激しい風は吹かず小さな池には波風立たぬ、ということになり、作者の今いる状況の危うさ、厳しさを象徴しており、この状況の中で一羽のスズメが出てきます。
見ずや籬(まがき)のあいだのスズメの、タカを見てみずから羅(あみ)に投ぜしを
羅せる家(ひと)はスズメを得て喜び、少年はスズメを見て悲しむ
剣を抜きて羅綱(あみ)をはらえば、黄雀(スズメ)飛び飛ぶを得たり
飛び飛びて蒼天を摩(ま)し、来たり下りて少年に謝す
剣を抜いた羅綱(あみ)を斬り払ったのはむろん少年であり、スズメ=作者は自分を助けてくれる存在=少年の出現を待ち望んでいたのかも知れません。
今週のさそり座もまた、自分の身を救ってくれる少年を待ち望むスズメとなったつもりで過ごしてみるといいかも知れません。
今週のキーワード
自分が救う側だと思っている存在にこそ人は救われる