さそり座
頭打ち状態にどう臨む?
転換点としての危機
今週のさそり座は、人との交わりを切なく求めた山姥(やまんば)のごとし。あるいは、光の当たらない闇の側に立って動いていこうとするような星回り。
「食わず女房」という昔話があります。人には何もくれたくない欲たがりの男が、飯を食わぬ女房を欲しがっていたところ、女が訪ねてきて自分は飯を食わずによく働くから女房にしてくれといい、男は女房をにします。ただ、自分が食べた以上に米が減ることを不思議に思った男が隠れて女房をのぞいてみると、おもむろに髪の毛をほどいた女房の頭から大きな口があらわれて、途方もない大食いの鬼女に変化したのです。男はすっかり度肝を抜かれ、何食わぬ顔をして帰宅してから離縁を告げると、今度は女房が男を食おうとして、男は命からがら逃げだす、というのが主なあらすじ。
さて、この山姥の昔話はいったい何を意味するのでしょうか。歌人で文芸評論家の馬場あき子は『鬼の研究』のなかで、「おそらくは人との交わりを求めて飯を食わぬという過酷な条件に堪えて」山姥があえて異類である人間の男に嫁いできたことに着目し、「頭頂に口があったという荒唐無稽な発想は、民話的ニュアンスのなかで、山母が常人との交わりの叶わぬ世界の人であることを匂わせたものであろう。むしろ山母が常人との交わりを求めるために果たした努力のあとが語られていて哀れである」と述べていました。
つまり、「食わず女房」は最初から男を喰らうことを狙っていたのではなく、男が盗み見て自分の正体に気づいたときに、初めて男を食べる対象に変換させたのであり、それはあまりに身勝手な要求を突きつける人間を相対化する絶対的な他者としての自然の象徴だったのかも知れません。
20日にさそり座から数えて「危機の克服」を意味する10番目のしし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、誰か何かを通して無理や無茶と真っ向からぶつかりあっていくことになるでしょう。
辞書は脇に置いてしまおう
長い人生、生きていればどこかで必ずこれまでのやり方に限界が来て、頭打ちになっていくものですが、まさにあなたはそんな時期を経験しつつあるのかも知れません。
例えばあなたが辞書を手に持っていて、千ページにも及ぶそれをいかに捲ろうとも、昨夜見た夢の甘美を表す言葉を見つけることができかったとしたら、あなたはどう語り、どう記そうとするでしょうか。
例えば、まだ完全な辞書も先行文献もなかった状態で、ほとんど暗号を読み解くかのように西洋の医学書『ターヘル・アナトミア』を日本語に翻訳した『解体新書』の作者たちは、潔く既存の知識を脇に置いていった結果、医学を超えて日本が西洋の文明との落差に気が付くことができたのだり、それは一つの大事件でした。
もちろん、これまで頼りにしてきた参照先を、今後めくり返すときもあるかも知れません。けれど、思い切って辞書を床において、一歩前へ進んでみることでしか何も語れないときもあるはずです。今週のさそり座は、いざとなれば後ろ向きに背中から飛び込んでいくぐらいのつもりで事態に臨んでいきたいところです。
今週のキーワード
違和感を浮き彫りにする