さそり座
移り変わりゆく本能の業
「人間」をやめる
今週のさそり座は、「野遊や食つて空腹思ひ出す」(小野あらた)という句のごとし。あるいは、動きの中でみずからの渇きや飢えに気付いていくような星回り。
ああ、わかるわかる!そんな時あるよね、と思わず手を叩きたくなってしまう一句。
「野遊び」とはピクニックや遠足のことだが、要するにあれをしなければこれもしなければという日常のタスクや強迫観念からいっとき離れて、何も考えずに身体を解放させていくこと。そうして夢中になっていると腹の空き具合さえ分からなくなって、何かを口に入れてからようやく腹が鳴ったりするのだ。
人間の身体というのはいたって現金にできていて、生命としての基本的な安心を与えてやらないと、すぐに自分で自分をごまかし始めてしまう。
この、自分をごまかさずにいるということは、簡単そうに見えてなかなかに難しい。自分を疑いすぎるとかえって頭もからだも固くなってしまうし、かといって「ありのままが一番」とか言い出せばすぐに自己欺瞞が入り込んでくる。
15日にさそり座から数えて「流れる本能」を意味する3番目のやぎ座で、下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、余計な思念が頭の中から消えていくにつれ、ものごとの自然な循環やそれを促す本能の働きを身をもって体感していくことになっていくはず。
循環に委ねていく
例えば、身体が病気にかかると、人は驚くほどに変容していく。それは病いというものが、最後の手段として「自然な循環」というものを強制的に促すものだから。
「なぜ私でなければならないのか」
「どうして他でもない今なのか」
「私はなぜ生まれてきたのか」
これらの問いに対して耳障りのいい答えはまず存在しない。またいくら説明されても納得はできないだろう。
あらゆる宗教は「生きることは不条理である」というところから出発しているが、その根幹にあるのは、身を貫くような切なさで自分が大いなるものの一部であると実感していく感覚に他ならないだろう。
蝉が地中から這い出て、はじめて空を飛ぶとき、彼らは何に身をゆだねていくのか。今週はそんな不意にそんな風に思える瞬間がやってくるかも知れない。
今週のキーワード
霊的な癒し