さそり座
記憶と攪拌
「殺すと来る人」
今週のさそり座は、「秋風に殺すと来る人もがな」(原石鼎)という句のごとし。あるいは、すっかり忘れていたものを、ひょんなことから思い出していくような星回り。
句意は、秋風が吹きすさぶなか、自分を殺しに来る人がいたらいいなあ、といったところだろうか。
前書きには「瞑目して時に感あり、目を開けば更に感あり 二句」とある。もう一句は「わが庵(いお)に火かけて見むや秋の風」。
すさまじい自暴自棄ぶりだが、作者は当時、寄宿していた寺の和尚が留守にしているあいだに夫人と恋愛関係となって駆け落ちしていた。
とはいえ、「殺すと来る人」に寺の和尚の面影はあまり感じない。それよりずっと抽象化された自分の宿命のようなものがそこに託されているのだと思いたい。
「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の有名な警句があるが、宿命というものもそれを自分から求めているあいだは決して向こうからやってこないものだ。
29日(日)にさそり座から数えて「記憶の底」を意味する12番目のてんびん座で新月を迎えていく今週は、自分では蒔いたつもりのなかった種子がふいに芽を出した時のような戸惑いや驚きに自然と直面していくタイミングとなっていくだろう。
非意識的な連帯
点滴スタンドがかすかに軋む音、鼻をつく病室の匂い、いつもとは異なるベッドの感触、窓の外でゆれる漆黒の葉陰……。
例えば、そうした非日常的な状況を経験していくとき、記憶の底に埋もれていた感覚が不意に想い出されてきては攪拌され、現実認識がどこかしら別様に変わってしまうことがある。
あれは私自身の記憶、こっちはネットで知った情報、これは知り合いから聞いた体験談。そんな風に、普段は頭の中で整理されていた情報が、嵐の海のようにかき混ぜられ、人称による区別を消していく。
存外、秋風というものも意識の攪拌を促すものであり、人間というのも、独立した個人である以前にゆるやかに結びいた集合体なのだ。
今週は、否応なく誰かの記憶や影響が流れ込んできては、その非意識的な連帯にあなた自身も身を委ねていくようなところがあるかもしれない。
今週のキーワード
脳は記憶を書き換え続ける