さそり座
ささやかながら手を伸ばす
交わりの奇蹟を求めて
今週のさそり座は、「幽霊と思しきものに麦茶出す」(澤田和弥)という句のごとし。あるいは、失われたものに敬意を払い、手を伸ばしていこうとするような星回り。
最初にことわっておくと、作者は若くして亡くなった故人であり、生前に上梓された句集のあとがきには、つぎのように書かれていた。
「僕はもっと強くなりたい。十七音の詩型の中で、僕は僕であることを、そして今、ここに生きていることを表現していきたい。僕の句は僕自身にとって、常に奇跡でありたい」
どうだろうか。この言葉と彼が死んでしまっているという事実を踏まえて、改めて冒頭の句を見直すと、そこには最初に目を通したときはまた違った奥行きが立ち上がってくるはずだ。
というのも、得体の知れぬ「幽霊」にまでバカ丁寧に麦茶を用意する人はいなくても、それがおぼろげながらも見当のついた故人のそれなら話は別だから。
むろん、麦茶を出しても、何ら応答は得られないかもしれない。けれど、掲句はそこで「交わることができたかも知れない」という‟奇蹟”に賭けているのかもしれない。
8月1日(木)にさそり座から数えて「お役目」を意味する10番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、掲句くらいのささやかさで交わりの奇蹟に賭けていきたいものだ。
あわいに立つ
いつの時代であれ、社会の先行きが見えなくなってくると必ず、幽鬼悪霊のたぐいが数多く出現しては、複雑怪奇な世相を織りなすものと決まっています。そこでは、互いの関係性の確認をめぐる多重の見せかけや裏切りに彩られた、絶望的な陽性主義とでも言うべき思想的特色が漂っています。
それはすなわち、人間のもつ「業の肯定」であり、そこで生じてくる怪しい光を、みずからの衣装としてまとっていく際の不思議な高揚感とでも言えましょうか。
ただ、今週のさそり座の人たちはそうした風潮とはなるべくなら距離を置いていきたいところ。
それはつまり、簡単に「業の肯定」などもしなければ、無暗な否定もしない。あるいは、そういうものに寄り添うようでありながら、ほっとくようでもあるような。そうした得体の知れぬ「幽霊」との関わり方における絶妙な塩梅というものを探っていこうということでもあります。
「二者択一」を迫られたら、できるだけそのあわいに立っていく姿勢を大切にしていきましょう。
今週のキーワード
澤田和弥『革命前夜』