さそり座
足かせを外すとき
錨なのか枷なのか
今週のさそり座は、「万緑や鞄一つが旅の枷」(村上鞆彦)という句のごとし。あるいは、余計なこだわりや条件を取っ払って、もっと身軽になる覚悟を固めていくような星回り。
旅慣れてくると、だんだん持ち歩く荷物も減っていくものですが、掲句では「鞄一つ」でさえ「枷(かせ)」なのだと詠んでいます。
この旅とは実際の旅なのか、それとも人生の比喩か。
いずれにせよ、ふと通りかかった道行きの途上、初夏の緑で辺り一面が覆い尽くされている光景を目にして、握りしめたままの鞄を「邪魔だな」と感じた作者の気持ちには、何かしら覚えがある人は多いでしょう。
ここで「鞄」とは、あれこれの考えや「~せねばならぬ」を詰め込んでいっぱいになった自我の象徴とも解釈できますが、そうした日常生活を送るのに必須だと思われた品々を抱え込んでいること自体、もはや滑稽に感じられているのかもしれません。
もちろん、「鞄」をどこかへ完全に投げやってしまうのは難しい。けれど、荷物を減らしたり、これから持ち歩いていくべきものを改めて厳選していくことは、今というタイミングで必要なことなのだと言えるでしょう。
喪失と始まり
一般的に、何かを喪うことは不幸なことだと思われがちですが、一方で、不幸と真実はコインの裏表のようなものだということも忘れてはならないように思います。
これが幸せだと思い込んで頑張って作り込んできたものが、人生の途上で不意に破綻して、職業や名誉や家庭や財産など、何かしら喪失していった時にはじめて、この世のほんとうの姿を垣間見、そこで人間とは何かということを少しだけ悟るのではないか。
とはいえ、せっかく人間に生まれながらも、人間とは何かということをほとんど悟ることなく人生を終えてしまう人間が世の9割である、といってもそれは言い過ぎではないでしょう。
そういう“小利口な人間”になることを、日本人はいつから大人になるとか、成熟と呼ぶようになったのでしょうか。
小利口をやめるには、子供にならうのが一番です。子供にならって喪失を経験していくとき、そこから本当の意味で人生は始まっていくのかもしれません。
今週のキーワード
小利口ではいられない