さそり座
名無しの<私>として
存在神秘
今週のさそり座は、ソクラテスの「無知の知」のよう。あるいは、あらためて存在の謎に直面していくような星回り。
プラトンによれば、彼の師ソクラテスは「自分は知恵に対して実際は何の値打ちもないものなのだということを知った者」(『ソクラテスの弁明』)と自称していたそうですが、これは「吟味されない人生に、生きる価値はない」という別のところでの言葉をまさに自分自身に当てはめた結果でしょう。
そもそも「生きる」という言葉自体、ふだん無自覚に使われがちですが、よく考えてみると、生きると死ぬは対にはなっていないんです。だいいち、無としての死を私たちはぜんぜん知らない。なぜなら、存在しないから。無が存在したら、無ではないからですね。
つまり「生きている」と私たちが普段何気なく言っているこの生存とは、じつは在ること、存在することの部分集合に過ぎないんです。これは逆に言えば、在ることというのは、必ずしも生存していることをだけを言うのではなくて、あくまで無数にある可能性の一つとして「生きる」とか「生きている」ということがあるけれど、それはどこまでいってもやはり「在る」でしかないんですね。
じゃあ、存在しているのは一体何なのかということになる。これが端的に存在の謎と言われるものです。
長々と書いてしまいましたが、これは本当に気が付くと、「何だこれは」とか、「あっ」と驚くしかないんですよね。5日におうし座で新月が起こる今週は、そうした根本のところに目を向け変えていきたいところ。
置かれた場所で咲く
ソクラテスはそうして自己の内に発見される真理について、単に知られるべきこととしてだけではなく、行為されるべきこととして考えていました。それは例えば彼の最期がよく知られているように、善であると判断したことを行為するべく、毒杯を飲んで自らの命にすら優先させたことによく表れているでしょう。
そういう意味では、名前なんかなくても、野に咲く花というのは、それだけで見る者をハッとさせてくれます。もうね、存在自体が美しい。おのれの小ささに怖気づいていないから。自分がどれだけ不安かを語るより、自分の幸せを信じて疑わない素直さがそこにあるから。
花は恋人のために咲く訳ではないし、そもそも誰のために咲くのでもない。自然とそうすることがおのれの定めだと分かっているのだと思います。それは不自由でしょうか?不幸なことでしょうか?どう見てもそんなふうには思えません。
だから我々はハッとするのかも知れませんね。自分のための恋。そんな花を咲かせていきたいところです。
今週のキーワード
ペリアゴーゲー(魂の向け変え)