さそり座
愛情表現としての分数
含みを担保する
今週のさそり座は、さながら分子を含んだ分母のごとし。あるいは、どうにも割り切れないものをこそ大切にしつつ、呑み込んでいこうとするような星回り。
考えてみれば分数というのは不思議なもので、例えば「1/3」という数など、割り切れないものをも表現する奇妙な性質を持ち、分数でしか正確には表現できない。
どういうことか。例えば、中学校の校門で次に出てくる生徒が男か女のどちらか当てる状況にある時、仮にその中学校の男女比率が7:3ならば、次に出てくるのは男が70%で、女が30%の確率となるが、この確率を端的なビジュアルで認識しようとすると、さながら「あしゅら男爵」のような顔が左右でまったく異なる気味の悪い姿になってしまう。
つまりここでは、現実の世界と確率とのあいだのズレが端的に示されており、現実に無理やり線を引いて割りきろうとすると、なんだかおかしなことになってくるという訳だ。
「7/10」も「3/10」も割り切ることはできないし、「3/7」という象徴的な分数もまた同様だ。ただ、そこでは現実の中に秘められ表面に現れない含意が担保されていて、そこが分数の不思議な魅力なのだと思う。
いよいよ桜も咲きはじめ、本格的に春を迎える今週のあなたもまた、そんな分数における分母のように、割り切れない分子をそのままに胸に抱いていきましょう。
犬のこころ
人間の大人たちは、どうして自殺しないでいられるんだろうか。
感情を殺して家と会社を往復しているだけだったり、ありえないような幸せを十分ありえると自分を騙していつまでも求め続けたり、誰かに教え込まれた通り無意味なことを語り合ったり。
青春が終わってしまえば、人生の価値は下り坂を転げ落ちるように低下していくと、だから青春や若さこそ人間の価値のほとんどすべてなのだと、あれだけ映画やらドラマやらで喧伝しておいて、一体どういうことなんだろうか。
だって、それじゃあ大人のほとんど死んでいるも同然じゃないか。というところまで至って、ああ彼らは死者なのかもしれない、と思い返すことになる。
日本という国は昔から、死を生の一様態として身近に扱ってきたし、そんな死者たちに対して犬は「がんばれ」とも「やめなよ」とも言わずずっと横で見守ってきたのだ。
犬の内にあるのは「哀しさ」であり、「愛しさ」であり、「悲しさ」である。含みを担保するとは、例えばそんなことなのかもしれない。
今週のキーワード
割りきれない思いこそ大切に