いて座
待つのをやめてみる
“それ以外”の対価
今週のいて座は、アップデートされた「中世化」の促進。あるいは、資本主義社会において「アジール」的文脈の形成をはかっていこうとするような星回り。
宗教学者の鎌田東二は平成以降の日本社会は地縁や血縁など、人々の存在を社会に基礎づけるさまざまな縁の解体がますます進行しているという意味で、現代日本社会は「中世化」しているのではないかと述べていました。
とはいえ、中世というのは天災や疫病、飢餓が横行し、社会秩序が大いに乱れた時代であった一方で、経済的にはそれまでの不動産経済から脱した動産経済が生まれ、その私的所有や個人による蓄財の道が開かれた世界でもありました。
特に、歴史学者の網野善彦が言及したように、そこでは世俗権力の規制をかいくぐり撹乱するものとして登場し、ある種の治外法権領域となった「アジール(避難場所、駆け込み寺)」が決定的な役割を果たしていったことで知られています。ただ最近の研究では、そうした中世社会においてさえ世俗社会の外で食べていくのは難しかったことや、社会のしがらみから逃れるというのは、無責任であっていいということではないのだという指摘が改めてなされています。
だとしたら、どうすれば現代社会において心身への脅威の少ない平和の場としてアジール作りと、その内部での責任の生成を両立させうるのか。それにはやはり、“賃金+それ以外の対価”がきちんと支払われる場であることや、いわゆる「感情労働」の過剰要求だったり、やりがい搾取のないことも重要になってくるように思います。
2月20日にいて座から数えて「安心」を意味する4番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自身のキャリアや活動をそうしたアジール形成という文脈で捉えなおしてみるといいかも知れません。
バス停の遊園地化
いつまで「いつかどこか」の抽象的な幸せや利得のために、現在を生きる身体やこころを犠牲にするつもりなのか。目的過剰の打算的な生き方モデルに釣られ、このまま棒立ちのまま一生を終えるつもりなのか。いつか開いた口に飛び込んでくるボタ餅の幸運を頼んで待つことは果たして幸せと言えるのか。
これら問いを心から問い、それを誰かと共有できたとき、先の「それ以外の対価」というのもおのずと明確になってくるのではないでしょうか。
例えば、いつまで待ってもこないバスなど無視して、その場にあり合わせの材料で小屋を建て、そのへんで調達してきたもので食事をつくり、バス停そのものを遊園地化していく。
はじめは眉をひそめられ、陰口をたたかれることもあるでしょう。けれど、あなたが遠くへ向けていた視線を「今ここ」の現実に戻し、生きていること自体の豊かさに気付いていくとき、そこには新たな現実の種がまかれ、これまで他人行儀だった周囲の人との関わりそのものも変質していくのです。待つのをやめる。そんな選択もあっていいのだと、今週のいて座なら気が付いていけるはず。
いて座の今週のキーワード
幻ではなく現実的な豊かさを