いて座
赤裸々であること
分断を超えて
今週のいて座は、移民の矜持。あるいは、もう戻れない<時間>を喪失した痛みを起点に、改めて人生の「この先」を思い描いていこうとするような星回り。
カルミネ・アバーテの『帰郷の祭り』という自伝的小説では、貧しい南イタリアから外国へと出稼ぎに行った労働者の、故郷やそこで待つ家族への狂おしいほどの郷愁が、少年の目を通して語られていきます。
「ずっと前から、僕には分かっていた。僕たちみんなのために、僕たちの未来のために、フランスで生活する父さんがどれほどの犠牲を捧げているか」
彼らにとって故郷とは、「こんなに近くに感じているのに、失われてしまったもの」として存在しており、ほとんどの人が当たり前だと感じている「今ここ」さえも、政治や自然など大きな力の前では否応なく、時に永遠に、喪失を余儀なくされてしまうのです。
そしてこれは現代の日本人においても、もはやいつ何時でも起こり得る「分断」的事態であり、特にそうした断絶やその痛みをもっとも感じていきやすいのが今のいて座の人たちなのだと言えるかも知れません。
11日(土)にいて座から数えて「深い渇望」を意味する8番目のかに座で満月を迎えていく今週は、結局のところ自分がいま心の底から欲しているものが何なのかということが、浮き彫りになっていきそうです。
よろこびと苦しみの果て
「よろこびと、苦しみとが、同じぐらいの感謝の思いを生じさせるならば、神への愛は、純粋である」
とは、かのシモーヌ・ヴェイユの言葉です。これはおそらく「神への愛の純粋さ」だけでなく、自分の人生に対する覚悟においても、同じことが言えるのではないでしょうか。
表現の中に自分の本音をあっけらかんと込めていくことを、「赤裸々」などと言いますが、 覚悟をもって何かを書くという行為も、本来おそらくヴェイユくらい赤裸々でなければ難しいのではないかと思います。
ただ一方で、例えば先のカルミネ・アバーテならば自分の経てきた苦しみにも、同じくらいの感謝をしたはずという風にも感じられてくるのです。 願わくば、今週のあなたもまた、彼らのように自分に正直に、そして誇り高くあらんことを。
今週のキーワード
たえず未来へ移り行く者の誇り