いて座
冷たく乾いた楽観主義
「文明の果ての大笑い」
今週のいて座は、「人非人でもいいじゃないの」というセリフのごとし。あるいは、訳の分からない笑いがこみ上げてくるような星回り。
太宰治と言うと、どうしても4度の自殺未遂と、5回目でやっと遂げた入水自殺という本人の華麗なる経歴に目が行きがちですが、書いた作品で言えば間違いなく日本のエンタメ小説の巨匠と言えるでしょう。
中でも、クズの夫とどこか怖い妻との夫婦生活を描いた『ヴィヨンの妻』は、ユーモアとホラーとリアリティーとの絶妙なるバランスをもって成り立っており、読む手としてはその年代ごとに鮮烈な印象を受けるはず。
人非人(にんぴにん)とは、人の道にはずれた行いをする人間、つまり人でなしのことで、文字通り自称詩人の夫は酒飲みだわ遊び人だわ、なんだか妙に優しくなったと思えば突如失踪するわで、本当にどうしようもない旦那。
しかし、そんな旦那に対して妻はいっこうに嫌悪感や悲壮感を出さない。妻の働く小料理屋からお金を盗んだ話の顛末を聞いた際も、「夫の詩の中にある‟文明の果ての大笑い”というのは、こんな気持のことを言っているのかしら」とただ涙が出るまで笑い続けている。
それは寛容というより、むしろ感情の入っていない冷たい反応だなと感じるほどに。
途中、夫婦の会話の中で、旦那は「女には幸も不幸もないのです」と言い切った後、「男には、不幸だけがあるんです」とこう一席ぶつ訳ですが、それを黙って聞いてる妻の明るい冷たさといったらない。その上で、冒頭のセリフが妻から吐かれる訳です。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ」
ここにはロマンティックな恋だの崇高な愛だのなんて存在しない代わりに、底抜けに明るく冷たいリアリズムがある。それは今のいて座にとって、実に健全な指針となるものでしょう。
垢抜けるとはどういうことか
恋だの愛だのみな幻想だと毒づくまでもなく、そもそもこの世この生というものからしてすべて幻想なのだと、僕らは気付いていないようで気付いています。
だからとことん楽しもう、と変な方に割り切れる人種もいますが、そんな無粋な輩だけで占拠できるほどこの世界は狭くない。
濃き夕暮れに、ひとしきり笑った後に、涙かるるまで立ち尽くすもまた人間。それでいい、それでいいと浸れる余韻があるくらいがちょうどいい。
今週のキーワード
軽妙洒脱