うお座
働く瞑想
離れがたい愉しみ
今週のうお座は、モームの執筆中毒症状のごとし。あるいは、「はまりやすく抜けるのが難しい習慣」を堂々と生活の中心に据えていこうとするような星回り。
文学史上でもかなりの多作型に分類される文豪のサマセット・モームは(生涯で78冊)、毎日午前中に3、4時間かけて1000~1500語分を執筆することにしていたのだと言います。2004年に出版されたモームの伝記作者ジェフリー・マイヤーズによれば、「モームにとって書くということは飲酒と同じで、はまりやすく抜けるのが難しい習慣だった」そうです。
日本社会では、どうしても働くことは苦しいことであり、我慢して苦労することができるのでなければ一人前ではない、といった集団幻想がいまだに幅を利かせているようなところがありますが、以下に紹介するモームに関するささやかなエピソードは、そうした幻想に固執することの馬鹿らしさを再認識するのにピッタリなように思います。
午前中の仕事を正午ごろ終えると、まだ書きたくてうずうずしていることがよくあった。
「書いているとき、ある登場人物を作り上げていくとき、それはつねに私につきまとって、頭のなかを占領している。そいつは生きているんだ」
モームはそういい、さらにこう付け加えている。「もしこれを自分の人生から切り離したら、とても寂しい人生になってしまうだろう」(メイソン・カリー、『天才たちの日課』)
あなたにも、そういううずうずを感じさせてくれる時間や、離れがたい楽しみの1つや2つ、思い当る節があるはず。10月24日にうお座から数えて「自己規律」を意味する6番目のしし座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、そうした楽しみを「当然のように」取りあげようとする大義名分や正論めいた物言いをゴミ箱に放り投げてしまうといいでしょう。
内気なランプと瞑想者
孤独な仕事のために設えられた真の空間とは、明るくピカピカで広々としたものではなく、得てして小さな部屋の適度にくたびれたランプに照らし出された輪のなかにあるものです。
ランプのもとで読み、書き、あるいは瞑想に耽る不屈の働き手にとって、みずからを満ちたりた沈黙へと誘ってくれるのは、まだ終わっていない仕事の空白と、思い出と夢想とが溶け合うランプの荒涼たる輝きという2つの極みに他ならず、そのあいだに身を置き、引き裂かれていくことこそが孤独を味わい深いものにしてくれるのではないでしょうか。
というより、そうして初めて私たちは実存のテーブルにつくことができる。すなわち、人生のさまざまな経験が縦横に裂け、そこで張りつめた実存の緊張を和らげるように、静かで安息した夢想やイマージュがそっと浮かびあがってくる。その時ようやく働き手はテーブルの上に広げられた白紙を埋めることができるのです。
その際テーブルを照らすのは、やはりスイッチひとつで灯される蛍光灯の明かりではなく、こちらが親しみをもって接してやる必要のある内気なランプでなければならないはず。
今週のうお座もまた、「ランプ」という古い語をみずからの日常のなかに招き入れ、精神の再構築をはかっていきたいところです。
うお座の今週のキーワード
「それは職業というより中毒だった」