うお座
無心に遊ぶ子どもの声
蝉の抜け殻
今週のうお座は、『何回も水鉄砲に打たれ死ぬ』(木田千女)という句のごとし。あるいは、子どもに戻ったようなつもりで死んだふりをかましていこうとするような星回り。
息が詰まるような日々を送るなかで、思わず顔を手で覆ってぎゅっと目をつぶった際に、唐突に浮かんできた光景の数々を、なんとなくまとめて一つにしたような一句。
こういう句に触れると、思わず過ぎ去ってしまった時間の大きさとともに忘れかけていた何かがふーっと浮き上がってくるようですが、あえてそれをそのまま書き出してみます。
あーあ、遊びの中でとはいえ、子どもの頃なら誰かとやりあって死んでしまっても、何度でも生きかえることができたのに、大人になるといかに誰にも「水鉄砲」を打たずにいられるかという我慢大会みたいになるし、逆に自分が誰かに打たれたら打たれたで、火のないところに煙は立たずとかいって周囲に距離を置かれ始めたり、これまで入っていた輪からさりげなく外されてしまったりするのはなぁぜなぁぜ?
もしもすべてが遊びの最中のことであるならば、打って打たれて打たれて死んで、いや死んだふりして打って打って打ちまくってからの集中砲火で大爆死するのも気持ちいいかもしれないなぁ。そう考えると、何回も死ねるというのは最高のぜいたくで、逆にいまはあっさりと死んでしまえる自由さえ奪われているがゆえの息苦しさなのかも知れないなぁ。
その意味で、7月6日にうお座から数えて「童心」を意味する5番目のかに座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたにとって、想像力の力を借りて生まれ変わりを遂げていこうとするような星回り。
「自然な所作」に向かって
鎌倉時代に生きた曹洞宗の開祖・道元は「自己をはこびて万法を修証するを迷とす」(『正法眼蔵』)と述べていました。「万法」とは「一切の存在」、「修証」は「修めてさとること」。すなわち、自分から求めて意味を考え出し、世界を捉えようとすることで、人間は迷いの世界に入っていくのだ、と。
これは蒸し暑さを感じて起きた夜中に眠れなくなった人が、部屋の中で涼をとれるものを探したり、インターネットで安眠できる方法を検索したり、いつからどうして眠れなくなったのかと自問自答をくりかえすことに、どこか似ています。
湧き上がってくる思いを必死で言語化しようとすればするほど、訳が分からくなって戸惑いが深くなっていく。その一方で、道元は先の一節に続けて「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」とも述べています。
一切の存在のほうから、何かが自己のもとへと届けられる。それがさとりなのだと。先の喩えで言えば、蒸し暑ければ、四の五の言わず、ただ窓をあけて夜風にあたればいい。物事のありのままの自然な所作が、最後にたどりつく境地なのだと。
今週のうお座もまた、大人になるにつれて忘れてしまっていた子どもの所作を不意に思い出していくことになるかも知れません。
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