うお座
垂直的なコミュニケーション
「言葉に襲われる」感覚
今週のうお座は、宇宙としゃべっちゃった感じのごとし。あるいは、言葉によって心が動かされた瞬間の不思議さということにもう一度立ち返っていこうとするような星回り。
幸運の星である木星が知性の星座であるふたご座に移動していくタイミングにある今、私たちは言葉やコミュニケーションの重さや価値を取り戻す過程にいるのだとも言えますが、それは言い換えれば、どうしたら言葉をただのものごとを外から指す記号や駆け引きのための道具を超えた次元に引き揚げ、そこで本当のリアリティに触れられるか、一種の永遠性を宿すことができるかという問題でもあるはず。
例えば、哲学者の池田晶子と、仏教僧であり俳人でもある大峯顕は、ふたりの対談『君自身に還れ―知と信を巡る対話―』の中で、詩を持っている書き手とそうでない書き手との差がどこにあるのかという観点から、次のように語っています。
池田 言葉は自分で書いてはだめなんです。言葉をして語らしめないと、絶対いいもの書けません。
大峯 だから、言葉が語るということが根本です。人間が言葉が語るのを聞くことによってはじめて語ることができる。
池田 哲学の場合でも、すぐに言葉が来るということではなくて、それは必ず思索の過程を経ますけれど、思索の過程が正しく経られているのであれば、やってくる言葉はだいたい誰でも同じような言葉が出てくるはずです。
大峯 ぼくなんか自分の詩作の経験を反省してみても、いつもいつも言葉に襲われるわけではないんですよ。そういう場合はやはり稀です。芭蕉でも、一生にそんな句が十句もできたら、それは名人だと言っています。一生にですよ。(…)詩人と言われている人でも、いつも言葉が彼をとらえるということはない。人間の分別が入るとダメになるわけですね。(…)ただ皆そう思うけど、なかなか実行できない。
池田 (…)それは、神々と人間の間に漂っている状態だと思いますよ。我々のある種の意識が、そういう識域というか、そういうところに漂っているとあるときふっとやってくるんです。
大峯 そう。宇宙と話をする。
5月26日にうお座から数えて「基盤」を意味する4番目のふたご座に拡大と発展の木星が約12年ぶりに回帰するところから始まる今週のあなたもまた、みずからの言葉の使い方を改めて見直してみるといいでしょう。
宇宙的な声の躍動
風がものにあたって発する音やその響きのことを、古来より「籟(らい)」と呼んできました。さらに古代中国の『荘子』には「天籟」「地籟」「人籟」という表現が出てきますが、これは地上の風穴や楽器の響きがコトバになるということですが、「天籟」に関しては哲学者の井筒俊彦が次のように述べています。
人間の耳にこそ聞こえないけれども、ある不思議な声が、声ならざる声、音なき声が、虚空を吹きわたり、宇宙を貫流している。この宇宙的な声、あるいは宇宙的コトバのエネルギーは、確かに生き生きと躍動してそこにあるのに、それが人間の耳には聞こえない。(「言語哲学としての真言」)
籟という声ならざる「声」は、確かに人間の耳には聞こえないけれど、胸には届く。そして胸が痛み、張り裂け、あるいは、心の琴線に触れる、と私たちは言う。その時、私たちは図らずも「天籟」のひびきと重なりあって、自他の区別をこえたところにある調和の世界に入っていくのです。
今週のうお座もまた、そんな耳には聞こえない不思議な声とみずからのひびきが重なりあっていく瞬間を見逃さないよう注意していくべし。
うお座の今週のキーワード
純粋快楽