うお座
大河の一滴として
笑っているのは誰?
今週のうお座は、『三月の甘納豆のうふふふふ』(坪内稔典)という句のごとし。あるいは、自分という器にさまざまな感情や思いが流れ込んで一つになっていくような星回り。
甘納豆が「うふふふふ」と笑っているという、なんとも世にも奇妙な物語な一句。とはいえ、言われてみると、2月の寒さからやっと解放される、その瞬間を今か今かと待ちわびていたところからの3月の雰囲気とも共鳴しているような気もしてくる。
3月と言えば「ひな祭り」に、甘いお菓子の「甘納豆」、そして「うふふ」という笑い方。それらに共通してにじみ出ている女性性で、句全体をなんともまろやかに一つに包み込んでいる。不必要な説明的な言葉を極限までそぎ落としつつも、ちゃんと口ずさんで楽しい一句になっているあたりは、作者の熟練の技と言えるでしょう。
そもそも、甘納豆が笑っているのか、作者が笑っているのか、それとも誰かの笑い声が伝染してきているのか、いまいち判然としませんが、掲句を口ずさんでいると、そんなことはもう気にしなくていいか、という気分になってくるから不思議です。
3月10日に自分自身の星座であるうお座で新月を迎えていくところから始まる今週のあなたもまた、つまらない理屈や事実や正義などまるっと笑いで包み込んでいくべし。
窓を抜けたその先で
永瀬清子という詩人が短い言葉に凝集して、戦後の混迷期に生きた女性の生活実感を描いた作品集に入っている詩のひとつに、『窓から外を見ている女は』という作品があります。
産業構造が変わって、女性たちも農業以外の多様な職業につくようになり、それに伴って多くの女性が新しい生き方を余儀なくされる中で自由と不安とのはざまで揺れる日々を過ごしていきました。この詩はまさにそんな女性たちへの応援歌の一つと言えるでしょう。
窓から外をみている女は、その窓をぬけ出なくてはならない。
日のあたる方へと、自由の方へと。
そして又 その部屋へ かえらなければならない。
なぜなら女は波だから、潮だから。
人間の作っている窓は そのたびに消えなければならない。
この「窓」とは女性たちを縛る古い社会のしきたりや、保守的な価値観のメタファーとも読めますし、何より「女」自身の中にある社会や文化などによって規定された固定観念なのではないでしょうか。
興味深いのは、この詩では「女」はそうした「窓」を抜け出していくだけでなく、「潮」のように「かえらなければならない」と書かれている点です。ここでは、女性という性が根底に有している強さや自然が、社会や文化のつくりだす人工物をこえたスケール感を持つものとして捉えられているのです。
今週のうお座もまた、「うふふふふ」と溢れだした笑いのように、社会や市場に規定されがちな価値基準から抜け出し超えていくための一歩を踏み出していきたいところです。
うお座の今週のキーワード
窓と波と潮