うお座
新たな味覚の回路を開く
人生ならではの味わい
今週のうお座は、『鮟鱇(あんこう)もわが身の業も煮ゆるかな』(久保田万太郎)という句のごとし。あるいは、うま味ばかりが食の道じゃないさ、と改めて痛感していくような星回り。
作者最晩年の句で、かの有名な「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」と併せて詠まれた一句。作者は当時、文壇の花形をかざる小説家・戯曲家であり、文化勲章も受章していましたから、今でいう上級国民の象徴のような存在でした。
しかし、華やかな業績とは裏腹に、私生活では妻の自殺、長男の病死、再婚した妻との不和など、さまざまな苦難や不幸があり、少なからず自責の念ややり場のない怒りや悲しみなどがくすぶり続けていたのかも知れません。
目の前でぐつぐつと煮えている、醜悪な外見で知られる鮟鱇の鍋を見つめているうちに、ふとそうした「わが身の業」が重なって見えたとしても不思議ではない。鮟鱇の身は確かに美味として広く知られていますが、鮟鱇本人は決して味わえません。そのことにも、作者は当然、思いいたっていたはず。
その瞬間、うま味とは対照的なエグ味や苦味が口内にほとばしったのかも知れませんが、それもまた一度しかない人生ならではの味わいでしょう。同様に、12月20日には自分自身の星座であるうお座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした人生の複雑な味わいを噛みしめていくことになりそうです。
aikoの『キラキラ』
「あたし」は「あなた」と一緒に住んでいて、「あなた」の仕事の帰りを待っている。そんな何気ない日常の描写から始まるこの曲は、次のくだりで見事に裏切られます。
羽が生えたことも 深爪した事も
シルバーリングが黒くなった事 帰ってきたら話すね
その前にこの世がなくなっちゃってたら
風になってでもあなたを待ってる
そうやって悲しい日を越えてきた
ここで示されているのは、たとえ世界が滅んだとしても「あなた」を待ち続ける、という「あたし」の態度です。こんな風に「待つこと」は、未来という時制がもつ「まだ存在しない」という本質と正面から向きあっていく行為であり、あえて「あたし」と「あなた」に待ち受ける不安な将来にじっと注意を向け続けることに他なりません。
はっきり言って、多大な精神力を要する行為ですが、そうして「あたし」はいつかきっとやってくる未来に備えつつ、その“はざま”の時間を味わっているのだとも言えます。これもやはり、人生ならではの味わいなのかも知れません。
今週のうお座もまた、ただ目の前の慌ただしい現実に追われて五感をふさぐのではなく、むしろ五感を開いていくなかで、目の前の現実を超えたより生々しい現実を味わっていくべし。
うお座の今週のキーワード
不穏な気配のする方へ