うお座
文明と自然のはざまで
君たちはどこに立っているのか
今週のうお座は、『野分雲湧けど草刈る山平ら』(飯田蛇笏)という句のごとし。あるいは、たとえ頭の理解が追いつかずとも、手元や足元を優先していこうとするような星回り。
山の上の平らになっているところで草を刈っていると、「野分(のわけ)」すなわち台風の吹いてきそうな恐ろし気な雲が湧きだした。けれども、別に恐れもせずに、やはり草を刈り続けているというのです。
なんだか素っ頓狂な感じのする一句ですが、甲斐の山国に暮らしている作者にとしては、こういうことにいちいち驚いて手を止めていては、暮らしがままならなかったというか、“こういうこと”が山国での日常そのものだったかも知れません。
さながら、通勤中の電車の窓から見えるいつもの景色のように。もし現代のサラリーマンと掲句の草刈り人とのあいだに違いがあるとすれば、それは自然と文明とのあいだの力関係が、著しく対照的なものになっているということでしょう。
電車の窓の景色は、窓を内側へと直接作用してくることはまずありませんが、「山平ら」というのは、もし台風がやってくれば最もその被害をこうむる場所の一つでしょう。そして、そういう場所に自分は立っていて、そこで暮らしをしているのだ、という自覚をもつということが、「地に足をつける」ということでもあったはず。
その意味で、16日にうお座から数えて「儀式」を意味する6番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、改めて自分なりに「地に足をつけ」ていくことがテーマとなっていきそうです。
都市の無意識をまとう
たとえば都市の片隅に潜むホームレスたちは、人の流れの死角や隙間、所有者がはっきりしない場所、空白の領域など、そういうところに巧妙に見つけ出しては、段ボールやベニヤ板、ビニールシートなどあり合わせの材料で組み立て式の家を造ります。
これは考えてみるとすごい能力で、本来なら就職や転職などでも高く評価されるべきものだと思うのですが、彼らからすればそれはそれでとんでもないことで、「それじゃあお前さん、代わりにここで暮らしてみろ」という話でしょう。
段ボールというのは流通のための梱包材であり、よく見ているとその都市に住む人びとが日々何を食べ何を使って暮らしているのかということもある程度分かってきます。だからホームレスの造る段ボールの家というのも、ある意味で都市の無意識からおのずと生み出されてしまうものであり、文明からはみ出た自然、ないし秩序を取り巻くカオスのようなものなのかも知れません。
今週のうお座もまた、常日頃から自分がどんなものに取り囲まれ、いかにそれに親しんでいるのかを自覚してみるところから、「地に足をつけ」てみるといいかも知れません。
うお座の今週のキーワード
ホームレスこそ俳人に近い