うお座
何かが破れている
※7月2日配信の占いの内容に誤りがございました。お詫びして訂正いたします。(2023年7月3日15時11分更新)
この世の“へり”の開け
今週のうお座は、『死後の景扇風機に顔近づけて』(高勢詳子)という句のごとし。あるいは、この世界の境界線上をなぞって歩いていくような星回り。
一度でも「扇風機」に指をつっこんでひどい目に合いかけたことのある人ならば、羽が回っているタイプのそれにはどこか恐怖心を抱くものではないでしょうか。
ましてや、それに無防備に顔を近づけるなど、もってのほかのはず。ところが、作者は暑さにのぼせて頭がどうにかなってしまったのか、うっかり顔を近づけてしまっていた。その結果がこれである。
すなわち、見えるはずのない「死後の景」が見えてしまった。それは、みずからの不用意さに気付いた瞬間、背中をせりあがってきた恐怖心が見せた幻影なのか、それとも、これくらい「うっかり」この世への構えを捨てられると、おのずと因果応報の網目も抜けて、見慣れたはずの日常を見る目さえすっかり変わってしまうということの喩なのか。
いずれにせよ、作者はここでこの世の“へり”にいて、白いウサギを追いかけて穴に落ちるアリスのごとく、きわどい領域に足を踏み入れているのだとも、抜けるべきしがらみから自由になりかけているのだとも言えます。
7月3日にうお座から数えて「しがらみの開け」を意味する11番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな「うっかり」をあえて試みてみるといいでしょう。
小沼丹の『十三日の金曜日』の場合
文鳥の記憶をめぐるこの短い小説では、主人公は或る日戦死したはずの友人を見かけ声をかけたら手を振ってくれたものの、別の知り合いにその友人はもう死んだと言われたことを思い出します。
不思議なものだと出した足が愛鳥を死なせる。午後から学校へ出勤し、電車に揺られていれば風呂敷包みを頭に落とされる。今日は十三日の金曜日だと話す声がする。着けば、上着に財布を入れ忘れた妻への悪口が外へ漏れて人を驚かせ、そこで話は唐突に終わる。
振り返ってみれば、この小説には実際のところ「文鳥」という言葉一つでて来ません。それに、いかにも小説のためと言わんばかりの、取って付けたような移動があるだけで、ここでは何かが破れているのです。破れているのは現在や過去といった時制なのか、それとも自他の境界線なのか、あるいは虚構と現実の区別なのでしょうか。
生きていれば、そういうところにふと迷い込んでしまうこともある。今週のうお座もまた、不意に差し込まれてくるものを流すのではなくしかと受け止めていくべし。
うお座の今週のキーワード
生きていればそういうこともある