うお座
自然の息遣いに
些細なことの積み重ね
今週のうお座は、『ももいろをはなれて桃の花雫』(伊藤通明)という句のごとし。あるいは、心の透明度をグーッと深めていこうとするような星回り。
やわらかな春の雨の潤いが、桃の花をつつむようにして集まっていき、やがてついに雫となって落ちる。その一瞬をストップモーションのように捉えて映像化してみせた一句。
一輪の桃の花の時点できわめて小さく、些細な対象ですが、作者はそこからさらに微小で、ささやかな雨のしたたりにまでズームアップして、自然の息遣いに一体化しようとしているのです。
それは「ももいろをはなれて」という平仮名のまろやかなな印象から、結びの「花雫」という硬質で非日常的な季語へと一気に飛んでみせることでもたらされる対比効果もあいまって、読み手に艶やかでダイナミックなトリップ体験をもたらしてくれるはず。
果たして、作者はどうして掲句のような作品を作りえたのか。おそらくそれは微細なディティールに注意を払える手腕というより、やはりその心の透明度ゆえではなかったか。
3月21日に春分、そして22日にうお座から数えて「こだわってしまうもの」を意味する2番目の星座であるおひつじ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、スキルの蓄積やテクニックに走るよりも大事なことがあるのだという気付きに立ち返っていくべし。
月並を破る
俳句の世界では、最悪の評価を下すとき「月並(つきなみ)」という言葉を使います。これは表現があまりに記号的だということ。つまり、あるリアリティーがあって、それを表そうとするときに使う言葉が通り一遍の定型に収まってしまったり、使っているはずの言葉の方に振り回されてしまって生々しさや自然さが伝わってこないとき、その表現は月並になものになってしまっている訳です。
逆に言えば、記号化されがちな実感の生々しさを取り戻す瞬間を捉え、「月並みを破る」ことができれば、その時点で暮らしぶりと芸術は地続きになっているのだということでもあるはず。それで思い出されるのは、実験音楽家のジョン・ケージが80年代に雑誌『遊』で語っていた次のような言葉。
ポットの音―できれば鉄瓶の方がのぞましいけれど―が湧いた瞬間だっていい。寿司の肴の色が変わるか変わらないかの分かれ目だっていい。広重の雨がポツンと降ってきた矢先だっていい。そこに禅機があり、音楽がある。日本人はそんな禅機を禅以外にもたくさんもっている。俳句もそのひとつだ。
日常のなかに「禅機」を見出し、そのこと自体を楽しんでいくことができるか否か。ここが、今週のうお座の焦点にもなってくるのではないでしょうか。
うお座の今週のキーワード
何気なく自然と息が合った瞬間=禅機