うお座
平和の使者として
政治的な駆け引き
今週のうお座は、古き良きインディアンの酋長のごとし。あるいは、きわめて世俗的かつ政治的な方向へと振り切れていこうとするような星回り。
南北アメリカのインディアン社会を参与観察したアメリカの文化人類学者ロバート・ローウィが1948年に発表した論文によれば、酋長が備えている条件は以下の3つなのだそう。
①酋長は「平和をもたらす者」である。首長は、集団の緊張を和らげる者であり、そのことは平和時の権力と戦時の権力が、大抵の場合は分離していることを示している。
②酋長は、自分の財物について物惜しみしてはならない。「被統治者」によるたえまない要求を斥けることは首長にはできない。ケチであることは、自分を否定するに等しい。
③弁舌にさわやかなものだけが、酋長の地位を得ることができる。
つまり、みずから軍隊を動かし、戦争をしかける非常時の指導者である古代的王とちがって、酋長とは平時の権力であり、あくまでみんなと一緒に暮らしながら、みんなが抱える問題を解決していこうとしていく存在なのです。
そうして、酋長はシャーマンのように神秘的なはたらきの領域に踏み込むことはない代わりに、文明の原理を拠り所としつつ、規則や良識にしたがって、社会に平和をもたらそうとしていかねばならず、それこそが「政治」ということの根源なのだとも言えます。
24日にうお座から数えて「世間との交わり」を意味する10番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、緊張を和らげる者としての本領を発揮していくべし。
他者の責任を引き受けるということ
例えば、「存在する」という言葉は、普段あたかもそれ単独で文の主成分となることができるかのように語られがちですが、実際に存在の歩みを進んだり、存在の役割を果たしたりすることはそう単純でも簡単でもありません。
というのも、私たちは自分ひとり単独で存在している訳では決してなく、生物的にも社会的にも必ず他者との関わりを通して存在しているから。
ユダヤ人哲学者レヴィナスは『倫理と無限』の中で、「他人の近さとは、他人が空間的に私に近いとか、親族のように近いというだけではなく、その他人に対して私が責任をとるかぎり―私に責任があるかぎり―他人は本質的に私に近い」のであり、「私には、あらゆる他者を、他者におけるすべてを、さらには他者の責任をも引き受ける全面的な責任に対する責任がある」とさえ述べていますが、これは宮沢賢治が『春と修羅』において「あらゆる透明な幽霊の複合体」とか「すべてがわたくしの中のみんなである」と言っていたことの言い換えとして解釈することもできるのではないでしょうか。
その意味で今週のうお座もまた、こうしたある種ユートピア的な考え方を通して、自分という存在の成立条件を整えていくことがテーマとなっていきそうです。
うお座の今週のキーワード
「存在する」という動詞を了解しなおしていく