うお座
なかなかヒットは出ないけれど
“ありえない”ことを成すための心構え
今週のうお座は、池澤夏樹の中編小説『スティル・ライフ』の一節のごとし。あるいは、なるべく遠くのことを考えて、“ありえない”ことをしでかす準備をしていくような星回り。
静かなバーで、静かに酒を飲み、静かに星の話をしている男がいる。見かけは平凡で目立った特徴もないが、じつは勤務先の会社から巨額の公金を横領して逃亡中の男である。物語は、そんな男が語り手の「ぼく」にひょんなことから秘密を打ち明け、助力を依頼するところから始まる。ただし、ここに引用したいのはその前段の、おのおのがウィスキーと水の入ったグラスを前にして交わした、何気ないバーでの会話。
「何を見ている?」とぼくは聞いた。/「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかとおもって」/「何?」/「チェレンコフ光。宇宙から降ってくる微粒子がこの水の原子核とうまく衝突すると、光が出る。それが見えないかと思って」/「見えることがあるのかい?」/「水の量が少ないからね。たぶん一万年に一度くらいの確率。それに、この店の中は明るすぎる。光っても見えないだろう」/「それを待っているの?」/「このグラスの中にはその微粒子が毎秒一兆くらい降ってきているんだけど、原子核は小さいから、なかなかヒットが出ない」
男の言葉は冗談なのか本気なのか、いまいち掴めない。そもそも、こんな会話を冒頭に登場させた作者の意図も当初はよく分からない。けれど、物語が終わる頃には、横領した金にまったく手をつけないどころか、利子までつけて金を返し、再び姿をくらませるという一連の“ありえない”行動をとる人物の頭の中をあらかじめ見せておくことで、読者に彼という人物のリアリティを感じさせる工夫だったのかも知れないという考えがよぎる。
9月18日にうお座から数えて「心理的基盤」を意味する4番目のふたご座で形成される下弦の月へと向かっていく今週のあなたもまた、グラスを前にチェレンコフ光を待っていくぐらいのつもりで過ごしていくべし。
あぁ、人間の負けだなあ
倉敷で蟲文庫という古本屋を営む田中美穂さんのエッセイ集『わたしの小さな古本屋』に入っている「苔観察日常」というエッセイなかに、次のようなくだりが出てきます。
ところで苔というのは、このような乾燥した状態のまま、当分は「眠って」いるのだそうで、何かのきっかけで条件が揃えば、またなんでもない顔をして、再び胞子を飛ばし、発芽して、それがまた胞子体をつくり……というふうなライフサイクルを繰り返すこともできるというのです。(中略)そして、それがいまもこうしてわたしたちの身の回りで普通に生きているのを見ていると、永瀬清子の「苔について」という詩にあるのですが、「あぁ、人間の負けだなあ」という思いがします。
そうそう、こんな風にときどき思いっきり負けを認めてしまうことが、私たちには必要なのではないでしょうか。「あの人に負けてるなぁ」ではなく、ただ負けているなぁ、と。というのも、「あの人」くらいだと、本当は負けを認めていませんし、かえって苦しくなるだけですから。
今週のうお座もまた、公園や川のほとりに座り込んでぼんやりしたり、遠くを眺めたり、ただぶらぶらするだけの時間を大切にしてみるといいでしょう。
うお座の今週のキーワード
わたしは苔になりたい