うお座
不在のうた
虚無に立つ
今週のうお座は、「河黒し暑き群集に友を見ず」(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、虚無がそれ以外の何かへと昇華していくのをじっと待っていくような星回り。
昭和15年(1940)の句。この年は「作風と批判の自由」を標榜した「京大俳句」が、厭戦や反戦の俳句を掲載したことから同人が次々と逮捕された年であり(新興俳句弾圧事件)、ここで言う「友」というのもそのうちの誰かのことなのでしょう。
作者もまた新興俳句運動の中心人物の一人であり、それは戦争と弾圧の焦土を経て、戦後の俳句表現の肥料となっていきましたが、その過程にはこうした救いようのない虚無があったのでしょう。
同じ作者によって戦後に詠まれた「暗く暑く大群衆と花火待つ」と比べると、より精神の暗黒の深さが際立ってくるように感じられます。掲句ではまだ、「河」はあくまで黒く淀んだ都市や国家の深い陰翳とともにあり、頼りになる「友」はひたすらに不在だったのです。
「暑き群集」にどこまでも取り残されているような孤独を噛みしめつつ、作者は5年間にわたり句作を中止しましたが(その間妻子をおいて関西に移住)、それでも俳句自体をやめることはなく、戦後になって再び八面六臂の活躍をしていきました。
8月8日にうお座から数えて「膿だし」を意味する6番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そのままではとても耐えきれないような事実がおのずと物語化されていく過程のなかに身を潜ませていくべし。
ことばを待つこと
西東三鬼の沈黙期間のことを考えると、現代人が本当に失ってしまったのは「話しあう」時間ではなく「黙りあう」時間なのではないか、という思いが改めて強くなります。
もしも、それができたなら、私たちは当事者意識のない政治的詭弁からも、余計な空気の読みあいや、過剰すぎる人生相談からも解放されて、その数倍の‟ことば”を聞き分ける機会を持つことが出来るのではないでしょうか。
逆に普段から‟ことば”を聞き分けることもせず、そのまま頭の中に張り付けてしまっている人というのは、いつしか自然に生気にみちたエロティックな生に入っていくこともできなっていくはず。つまり、そうしてみずからの人生を語る言葉を喪失していく訳です。
今週のうお座は、いつも以上に自分の内側を空にしてそこに生まれた沈黙に耳を澄ませていく必要に迫られていくことになっていくでしょう。
うお座の今週のキーワード
黙りあう時間の大切さ