うお座
現実と救い
似たもの同士
今週のうお座は、「無惨なら枯向日葵に劣らざる」(中原道夫)という句のごとし。あるいは、人間の、人生の無惨さにしみじみと思い至っていくような星回り。
向日葵(ひまわり)の花は背丈も大きく、黄色く溌溂としているだけに、枯れ方もまた凄まじいものがあります。そんな向日葵と同じ類の無惨さを、この作者は自分の中に見ている訳です。
それは例えば、40歳を迎えた男性がバカボンのパパと同じ年齢に達した現実にショックを受けて受け入れられずにいることだったり、スマートに生ききることができず、歳を追うごとにどうしようもないみっともなさや情けなさに苛まれるようになることだったりするのかも知れません。
どんなに傍目から見ればうまくいっているように見える人だって、むしろそういう人だからこそ、人生の無惨さというのはかえって深部まで人の心を蝕んでいくように思います。
熱力学の法則で、どうしたってエントロピーは増大していくように、自然はその本質上カオスであり、思い通りにいかず、どこかに必ず裏切りが潜んでいる。それにまんまとしてやられる人生の本質もまた、その無惨さにあるのではないでしょうか。
17日にうお座から数えて「浮き彫りになる場所」を意味する7番目のおとめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、否応なく今の自分自身の在り様を残酷なまでに客観視させられる機会に直面していくはずです。
ときに善良、ときに不良。
19世紀末、ヨーロッパ文明を逃れてタヒチ島での原始生活に希望を見出そうとした画家ゴーギャンは、最晩年にタヒチ島から北東に約1500kmの海域に位置するマルキーズ諸島でいくつかのエッセーを書きました。
その内の「人生とは」という一見野暮ったいタイトルのエッセーでは、自身の人生を振り返りながら、次のようなことが書き記されています。
人生とは、人がそれを意志的に実践するのでなければ、少なくともその人の意志の程度にしか、意味を持たないものだ、と私は考えている。美徳、善・悪などはことばである。もし人々が、それを挽き砕いて建物をたてるのでなければ、……意味を持たない。
何とも率直な物言いですが、その後は冷静になって一歩引いてみたり、唐突に告白めいた熱のこもった文章が出てきたり、愚痴っぽくなったりと蛇行を繰り返しながら、やがて
「私はときは善良であった――私はそのことで得意になりはしない。私はしばしば不良であった――私はそれを後悔しない」
という爽やかな文で一息つきます。いささか牧歌的ではありますが、今週のあなたにとってこうしたゴーギャンの爽やかな言い切りは、ある種の救いになるのではないでしょうか。
今週のキーワード
すべては真剣であり、ばかばかしくもある。