うお座
みずからの生をまなざす
秋風と驚き
今週のうお座は、「秋立つや何に驚く陰陽師」(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、居ずまいをただして世の中に改めて向き合っていくような星回り。
「陰陽師」というのは、日本の中世社会において天文現象などから占いをしていた役人のこと。そういう自然や歴史を占う専門家たちが驚いて動いていて、そこに秋が来ている。そんな情景です。
むろん、これは虚構であって、作者が実際に目にした光景ではありませんが、とはいえただの空想とも違うんです。
秋が来ているというのは、情勢に、権力の中に、今まさに何か異常事態が起こっている。そういう雰囲気をサッと象徴的にこう言い表した。つまり、ここでは作者は歴史の動きと自然の動きを同時に掴んでいる。
いわば、「陰陽師」は作者の中から飛び出してきた人間の一側面であって、そういう内界の動きを見つめながら、一方で秋風が吹いて変わり始めている世界の情勢に注意を向けている訳です。
9月2日にうお座から数えて「この世への向き合い方」を意味する1番目のうお座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、はじめてこの世界に降り立ったかのようにできるだけ新鮮な気持ちで過ごしてみるといいでしょう。
うめきと戦慄
例えば、“裸の王様”を見つめ本当のことを口にしようとした子供と比べて、あなたは今の自分のことを、おろかな知恵者か、かしこい愚者か、どちらに近いと思っていますか?
――子供の頃、独りで広場に遊んでいるときなどに、俺は不意と怯えた。森の境から……微かな地響きが起こってくる。或いは、不意に周囲から湧き起ってくる。それは、駆りたてるような気配なんだ。泣き喚きながら駆けだした俺は、しかし、なだめすかす母や家族の者に何事をも説明し得なかった。あっは、幼年期の俺は、如何ばかりか母を当惑させたことだろう!泣き喚いて母の膝に駄々をこねつづけたそのときの印象は、恐らく俺の生涯から拭い去られはしないんだ。(埴谷雄高『死霊』)
こうした、私が私であることへの「怯え」、あるいは自分が人間であることへの不快には、身に覚えがある人もいるでしょう。
少なくとも、裸の王様を前にした子供はその怯えに突き動かされるように思わず口を動かし、そして居ても立っても居られず走り去ったのに違いありません。その「戦慄」や、「うめき」こそが、どこで覚えたのでもない、ほんとうの自分。そういうことが、今週はすこし分かるのではないかと思います。
今週のキーワード
はじめてこの世界に降り立ったかのように