うお座
無常観の匙加減
夢と現と公(おおやけ)と
今週のうお座は、茶の味のごとし。あるいは、岡倉天心のいう「茶気(ちゃき)」という言葉を通して自分の器をはかっていくような星回り。
東京藝大の創設者である岡倉天心は『茶の本』において、茶道の本質を「人生という度し難いものの中に、何か可能なものを成就しようとするやさしい試み」にあるとしたことで有名ですが、また別の個所では人生の面白味は<茶気>という言葉で言い表されるとしています。
「俗に「あの男は茶気がない」という。もし人が、わが身の上におこるまじめながらの滑稽を知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく(まったく気にせず)、浮かれ気分で騒ぐ半可通(はんかつう)を「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する」
これはそのまま、<夢と現>のあわいにおいてこの世や人生を捉えていく日本的な無常観のある種の変奏とも言えます。
そして茶気はあり過ぎてもなさ過ぎてもマズいのであり、ただ私たちはどうしたってそのいずれかに偏りがちですし、今のような情勢においてはなおさらでしょう。
6月6日にうお座から数えて「公的態度」を意味する10番目のいて座で、満月を迎えていく今週のあなたもまた、どちらの仕方で絶妙な茶の味を外してしまっているかで、おのれの器のほどを確かめてみるといいかも知れません。
苦界としてのパブリック
現代という時代は、いわば「死に甲斐喪失の時代」と言えます。過去の或る時代には、おおやけに認められた「大義」というものがあり、たとえそれが誰かにねつ造されたまやかしの死に甲斐であったとしても、「喜んで死ぬ」ということがありましたし、それは同時に、そういう風に生きるべしという倫理観でもあったのです。
しかし、今日においてはそうした倫理観はほとんど失われ、この世にある限り、果てしなく業を重ね、救いのない世界を生きていかねばならなくなってしまいました。
それどころか、業によって発生する因果応報のおよぶ先は、この世にとどまらず、あの世においても次の生まれ変わり先でも未来永劫、果てしなく続いていく。それは、あなたがこの世に生まれてきたということであり、苦界を生きるということの恐ろしさでもあります。
ただ、そういう背景があるからこそ、一方で私たちは芸術に救われ得るのだとも言えるかも知れません。今週のうお座は、「人生という度し難いものの中に、何か可能なものを成就しようとするやさしい試み」という天心の言葉を改めてかみしめた上で、ちょうどいい茶気の匙加減を探っていきたいところです。
今週のキーワード
『苦界浄土』