うお座
仕事の着手
リルケの答え
今週のうお座は、リルケの「たとえわれらが欲しなくとも、神は熟する」という詩編のごとし。あるいは、「神をたてる」ということの門前に立っていくような星回り。
1904年、スウェーデンの社会思想家であり女性解放論者であったエレン・ケイに「あなたは神を信じますか?」と問われたリルケは、次のように答えたと言います。
「……このような苦しい体験のすべてから、わたしは次のように信じるようになりました。精神の発達時期に、神は存在しない、存在しえたことはまったくないと思い、また言う、そういう人々は正しいのだ、と。けれども、これの告白は、私にとっては無限の肯定なのです。というのは、もしかすると神は使い尽くされて、消えて無くなってしまったのかもしれないという不安が、すっかり解消して今は、神がやがて存在するだろうことを知っているからです。神はやがて存在するでしょう。孤独な、時間の外に身を避けている人々が、神を建てるのです、心と頭と手で神を建てるのです。ものを造る孤独な人々、芸術作品(すなわち未来の事物)を造る人々が神を建てる、神の実現に着手するのです」
いま神は存在しないが、未来における神の存在を信じるというリルケの言葉は、まさに今のうお座にとって極めて重要な示唆を与えてくれるはずだ。
8日にうお座から数えて「引継ぎと共有」を意味する8番目のてんびん座で、満月が起きていく今週のあなたもまた、みずからが溶けあい一体化していくに値する態度や信仰を改めて見定めていきたいところ。
ヴェイユの恩寵
やはり20世紀前半の激動と戦争の時代に、弱い者の立場に立ってひたむきに生き、三十四歳の若さで死んだユダヤ人女性思想家シモーヌ・ヴェイユは『重力と恩寵』の中で、求める目的とは反対の結果をうむ努力と、たとえうまくいかないことがあってもいつも有益な結果をうむ努力の仕方があると述べていた。
いわく、「前者は、内心のみじめさに対する(まやかしの)否定を引き起こし、後者は、自己のありのままの姿と愛する者との間のへだたりをたえず注意させることによる」と。
これはまさに「重力と恩寵」という問題を身近な例で示したものと言える。それは彼女の言う「重力」とは、物体の重力にも似た心の惰性的で功利的な働きのことであり、それに対して「恩寵」とは、心の単なる自然的な働きを超えたもの(=光)を指し、それはリルケの言う「神をたてる」仕事とも深く関係していくから。
どちらを選ぶべきか、それは今週のうお座にとっての分水嶺となっていくはず。
今週のキーワード
惰性的な心の働きを超えること