うお座
たましいを汽車に乗せて
生きがいを「がんばる」から切り離す
今週のうお座は、ドラマチカルな場面に居合わせつつ、どこか遠くの方で鳴った汽笛の音に耳をそば立てていくような星回り。
あるいは自分の中の「もう一人の自分」が目を覚まし、自身が宙に浮いていくような星回り。
何事においても「がんばる」という態度が異常に奨励されている日本社会では、
- やるときめたら最後までやりぬこう
- それが大の大人としての責務じゃないか
- わが魂ここにありってところを見せてやろう!
と歌いながらドツボへと突き進み、死んだ能面のような顔になっていく事例が後を絶たない。
ですが果たして人生が展開していくプロセスは、そのような仕方でしかありえないのでしょうか。
日常の中で与えられた役割を完璧にこなし、誰かの期待に応えていくことだけが果たして「生きがい」なのか。もし、その現実が夢だとしたら…?
今週は現実よりもっと遥かなところから、自分を眠りから覚まそうと呼びかけている声を聞きとり、そちらに応えていくという選択肢を意識してみるといいでしょう。
出会いと内なる炎
キリスト教の神学者であり、音楽家であり、後に医師としてアフリカに渡り現地人に奉仕したシュバイツァー博士は彼の自伝の中で次のように書いています。
「誰の人生にも、あるとき、内なる炎が消えるときがやってくる。そして消えた炎は、別の人間との出会いによって、また突然燃え上がる。わたしたちは皆、精神をよみがえらせてくれる人々に、感謝するべき」
だと。
もしこの金言に何か付けくわえるならば、「感謝するときには、一杯の酒をおごることも忘れずに」というくらいでしょうか。
燃え上がる炎は、「もう一人の自分」との間に友情が成立した合図であり、それはプラットフォームから発車していく汽車の動力源なのかも知れません。
今週のキーワード
おごりおごられ