うお座
砂漠の真ん中で喉を癒す
旅とたましい
今週のうお座は、「たましいの渇き」のままに。すなわち、一言でも一行でも構わないので、‟たましいの航海日誌”を書き進めていこうとするような星回り。
人生がひとつの「旅」だとして、人はただ旅をしていくだけでなく、その記録をさまざまな形で残していったり、また他の誰かが書き残したものを読み解いていこうとします。
そして書物を読み解くということは、それ自体が「小さな旅」のようなもので、時にそれはいつまでも終わることのない旅として、人生に併走し続けることになっていく。
例えば、サン=テグジュペリの『小さな王子さま』(山崎庸一郎訳)も多くの人にとってそんな作品の1つであろうと思いますが、その中には次のような一節が出てきます。
「「砂漠が美しいのは」と、小さな王子さまは言いました。「それがどこかに井戸を隠しているからだよ…」
わたしは、突然、この砂の謎めいた輝きのわけがわかってはっとしました。少年だったころ、わたしは古い家にすんでいましたが、そこには宝が埋められているという言いつたえがありました。もちろん、だれもそれを発見した者はいませんでしたし、たぶんそれを見つけようとした者もいませんでした。」
ここで話されている「砂漠」とは、一体何のことでしょうか。おそらくそれは、子どもの頃に見ていた人生の心象風景であり、別の言葉で言えば人間の「たましい」と言えるかもしれません。
砂漠はそこに佇むものに渇きを感じさせますが、一方で「謎めいた輝き」をも放っていて、それはそのどこかに「井戸」を潜ませているからだと言うのです。
さらに、渇きを癒そうと、多くの人はどこか別の場所へと水を求めて出かけていこうとしますが、本当はその「たましい」のある場所を掘っていけば水はあるのだ、とも言っているように思えます。
今週のあなたは、あなたがかつてどこかで読んだ1冊、あるいは理解しきれなかった一節をめぐり、ほんの少しでも理解を深め、人生という旅の日誌をつけていくことがテーマとなっていくでしょう。
岸田将幸<<孤絶-角>>より
「まったく人のいない場所の発見、
人が生き得る“呼吸場”―――。
(呼吸広場、)
“孤絶-角”
、は
孤絶角度とそれぞれのではない空間によって成り、
時間は“無限振動”=共振のあいだに
溜まる
水量によって測られる」
こうした詩、というより詩人と出会うと、やはり旅であれ、たましいの渇きを癒す水を得るのにも、「孤絶」ということは絶対に必要なのだと思わざるを得ないでしょう。
あるいは、いま自分自身のいる場所を掘っていくということは、ここで言われているような「呼吸場」を発見していくでもあるのかもしれません。
今週のキーワード
水は目に見えない