うお座
議論をとめるな!
やるならとことん徹底的に
今週のうお座は、とある無神論者と僧侶の会話のごとし。あるいは、肯定否定いずれであったとしても、微温的態度より徹底した態度を良しとしていくような星回り。
ドフトエフスキー作品において深遠さで知られているのが『カラマーゾフの兄弟』だとすれば、難解さで知られているのが『悪霊』と言えます。
とはいえ、肩肘張らずとも自然と惹きつけられる光景をその中から幾つか取りあげるとして、その最初に浮かぶのが、修道院の庵室に訪ねていった無神論者・スタヴローギンがチホン僧正と対話を交わす場面でしょう。
特にその激しい議論を交えた対話のあとで、チホンが言った「あなたは、子羊がただたんに微温きものよりも、冷ややかなるものを好んでいることに驚かされたのですな」という言葉には何か読み手の心をハッとさせる真摯な鋭さがあります。
この場合「子羊」とはよきキリスト教徒つまりチホン自身のことを指しているのですが、ここはドフトエフスキー本人の人間に対する厳しくも優しい眼が光っている場面でもあるように思います。
特別熱い訳でもなく、あえて冷ややかでもないような、ただなんとなくその場の空気に応じて示される「好き」や「イイネ」など捨ておきたまえ。ね、君。と直接語りかけられているような。
例えるなら、今週はそんなあなたの真摯さが試されていくようなタイミングとなっていきそうです。
声をあげ続ける理由
「おまえに生きる権利があるというなら寄生生物(われわれ)にもその権利がある。もっとも「権利」なんていう発想自体人間特有のものだろうがね。」
これは岩明均の漫画『寄生獣』に登場する主人公の泉進一に寄生している通称「パラサイト(寄生生物)」であるミギー(右手に寄生したため)が、主人公に対して放ったセリフ。
ミギーに言われるまでもなく、守ってもらう自分の権利を主張していくことも大事ですが、それはあくまで話の通じる相手の場合に限られる話で、世の中にはまったく話の通じない相手が、想像以上にゴロゴロいるものです。
じゃあなぜ、そんな相手には何も言わず黙っていればいいかって?
それも恐らく不正解でしょう。声をあげ、主張し続けるのは、こっちの言うことを聞いてもらって、あるはずの権利を守ってもらうためではなくて、戦うためです。
誰が相手であれ対等な議論を続けていくためには、声をあげ続けることは何よりも大事なのではないでしょうか。そんな中でこそ、疑問はやがて確信に変わり、その変化に応じて周囲の光景が動き出し、景色そのものが変わっていく。
今週は、そんな循環をみずから作り出し、あるいは加速化させていく時なのだと言えます。
今週のキーワード
SNSは議論に向かない