てんびん座
何でもない日常に差し込んでくるもの
記憶の光景
今週のてんびん座は、『詩を書いてゐた三月の詩が残る』(堀下翔)という句のごとし。あるいは、媒介者としての自分自身の現在地点を改めて確認していくような星回り。
この句を一読して、あなたは「三月の詩」という言葉に、どんな内容を重ねるだろうか。冬から春へと本格的に移りゆく時期である「三月」にふさわしい内容としては、春らしい趣きが萌してくる自然界を観察したものでもいいし、卒業に際して自身の青春を詠みあげたものであってもいいだろう。
しかし、一方で3.11以降に他ならぬ日本人によって詠まれたものであるならば、震災に関する詩であろうという受け取り方をまったく度外視して読むことは難しいのではないか。
それだけ、あの震災は日本人の意識を根底から変えてしまったし、福島県の被災者を中心に依然約3万人が避難生活を送っている以上、まだ真の意味での復興が成し遂げられたとは言えないはず。
弥生の本意であるとか、季語うんぬんの俳句の約束事以上に、「三月」という言葉そのものにもはやそうした記憶がとめどなく流れ込むようになっているのだとも言える。だとすれば、未来まで語り継いでいくべき詩とは、後世に残していくべき記憶とは、一体どんな光景であるべきなのか。
3月20日にてんびん座から数えて「メタ認知」を意味する7番目のおひつじ座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていく今週のあなたに求められていくのも、少なくとも「三月」という言葉をどんな風に受け取ったのかという自分自身に対する正直な認識だろう。
助走線としての「なつかしさ」
私たちはある風景にたいして、特別な「なつかしさ」を覚えることが時々ある。例えば、武蔵野の雑木林が自然主義文学者たちによって再発見されたものであったように、「なつかしい」という感覚は、自分にとってのアイデンティティを何か遠く離れたものに重ねていくプロセスの中で生み出され、言葉にすることで強調され、タイムマシンのように装置化されていくという側面があるのだ。
つまり、「なつかしさ」とは等身大の現実世界から脱却していくための助走線であり、それゆえに「なつかしい場所」は普段目に触れている日常世界には存在せず、時おり不意をつくかたちで私たちの前に見え隠れしたり、身体にしみいるのであって、本質的にそれは日常と緊張関係をもつ「対抗空間」なのだと言える。
今週のてんびん座さんたちの前に、もしそんな「なつかしい」景観が現われたなら、意識から消えてしまう前によく目に焼き付けておくこと。言葉で記したり、写真を撮っておくのもいいだろう。それらは得てして、未来への予期を孕んでいるはず。
てんびん座の今週のキーワード
現実と現実でないもののはざまで