てんびん座
生命と彫刻
格闘する者に○
今週のてんびん座は、お手本としての「長い虹のような脱糞」のごとし。あるいは、見かけの華やかさや一時的な評価ではなく、疑いようのない実質としての“真の満足”を追求していくような星回り。
岡本かの子の代表作『金魚繚乱』は、崖上の広大な邸宅に住むお嬢様と崖下で金魚屋を営む家のせがれという分かりやすい階級格差を軸に、男女の一生の交錯劇を描いた小説です。
ただ、男性と女性は絆を感じこそすれ、結局は現実に結ばれることはありませんでしたが、男性は最後に生涯かけての悲願であった至高の金魚の創造に偶然にもたどり着きます。
その現実離れした美しさについて、作家は豊麗かつ唯一無二の比喩を駆使して、これでもかこれでもかと描き出していくのですが、ここで取り上げたいのはそんな絢爛たるフィナーレではなく、次のような物語の中盤に出てくる研究所の日常での1コマです。
水を更えてやると気持よさそうに、日を透けて着色する長い虹のような脱糞をした。
ここには、泥をすすってでも一途に生きる人間の苦悩や格闘を描くという、この作品の根底にある真のテーマが、金魚に置き換えられ、さりげなく示されているのではないでしょうか。
2月3日にてんびん座から数えて「生きがい」を意味する2番目のさそり座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、こうしたさらりと配置された満足の美しさこそ、いま改めて追求していくべきお手本にしていくべし。
彫刻作品『カテドラル』
ロダンの作品の中に小品ながら『カテドラル(大聖堂)』と名付けられた作品があります。厚みや大きさ、手首の細さが異なる2つの手が今にも触れ合おうとしているのか、それとも離れる瞬間なのか。いずれにせよ、そこには不思議な宇宙性と宗教性が横溢しています。
どうしてこのような作品がつくられ、祈りの場である大聖堂の名がついたのか。その読み解きのヒントとなりうるものとして、周囲の人々の熱心な聞き取りから生まれた『ロダンの言葉抄』の中の次のような箇所があります。
(宗教とは)無限界、永遠界に向かっての、きわまりない智恵と愛とに向かっての、われわれの意識の飛躍です。多分夢幻に等しい頼みごとでしょう。(中略)線と色調とはわれわれにとって隠れた実在の表象です。表面を突き通して、われわれの眼は精神まで潜りこむのです。
そうして、彼にとっての宗教体験と制作哲学とが結びつけられてから次のように結ばれるのです。
「よき彫刻家が人間の彫刻をつくるとき、彼が再現するのは筋肉ばかりではありません。それは筋肉を活動させる生命です」と。こうした記述から考えるに、おそらく「大聖堂」に託された祈りとは、おのれも作品も同じように生命そのものであろうとする、壮大な逆説だったのではないでしょうか。
今週のてんびん座もまた、自分が人生に対し何を祈り、それをどのような形で具現化しようとしているのか、改めておのれに問うていくことになりそうです。
てんびん座の今週のキーワード
夢まぼろしの中に生きる道を見つけていくこと